おはこんばんちはならー!

おひさしぶり!皆様におかれましては健やかにお過ごしでしょうか。

 

わたしは割と元気です!いっそがしいです!

きゅーたろうを放置気味です!

成績も、きゅーたろうがみていいよ、と言った後にしか確認しません。

 

 

リブログはメモとして残しておこうと思ったものです。

 

 

私は「学校の先生ガチャ」で、運が良い!と思ったのが、高校以降でしたので、

公立小中教師へのネガティブな印象が多少強いです。

 

だれしも自分の経験より強い経験は、本や講話、伝聞などではつきにくく。

 

 

 

で、休憩タイムにネット徘徊をしていて、冒頭のブログにあったこの詩に行き当たりました。

 

おもいついたときに親業のブログを複数、

ざざーーーーーーーっと、漁るのですが、そこでの収穫でした。

 

親業、現在は上級講座の1回目を10月初旬にうけ、

ブッククラブ、という親業の本をインストラクターがファシリテーター役をしてくださって、

複数の学習者で読んでいくという講座に参加しています。

こちらは親業唯一の遠隔講座なので、ズボンがパジャマでもバレなくてよき気軽に参加出来ます。

 

夏は教師学の名古屋開催を企みましたが、緊急事態宣言とか、

私に降りかかったおうち購入のゴタゴタなどで、チョット難しくて、

先に軽めの関連書籍にだけ目を通しているところです。

 

 

私が苦手な教師、私が心酔した教師、両者は何が違うのか。

 

教師学を学ぶことで、そういう所を探れるのかな?早く講座受けに行きたいな。

受けるタイミングが来たらきっとほいほいと受講出来る状態になっているんだろうと。

はいはい、かみさまのいうとおり。

 

 

さて、上記のブログで行きあったこちらの詩

私が先生になったとき
自分が真理から目をそむけて
本当のことが語れるか

私が先生になったとき
自分が未来から目をそむけて
子どもたちに明日のことが語れるか

私が先生になったとき
自分が理想を持たないで
子どもたちにどうして夢が語れるか

私が先生になったとき
自分に誇りを持たないで
子どもたちに胸をはれと言えるか

私が先生になったとき
自分がスクラムの外にいて
子どもたちに仲良くしろと言えるか

私が先生になったとき
自分の闘いから目をそむけて
どうして子どもたちに勇気を持てと言えるか

この詩は作者不詳なのですが、

なぜか宮沢賢治の作ということにされがちな詩なんだそうです。

参考→

 

 

そこから芋づる式に、

 

 

 

大村先生は要約すると

「なさい」といわずしてすべきことに取りかかれるようにするのが力量でしょうよ、

みたいな事をおっしゃっていて、

また、自分が学習者である事の重要性を

「わたしたちがこどもたちと同じ天地にいるための工夫」

であると。

 

居丈高に大上段から構える先生、昭和には沢山いましたよね。

今もいるけどさ。

今はホラ、多少人目を気にするから分かりやすい大上段では無くなっただけで。

 

その辺にもわたしの先生に関する印象の原因がありそうだなと。

そんなことを考えました。

 

もし、私が人に何か、おこがましくも助言なりをする場面になった時、

私がイヤだな、と常々思ったいる態度を取ってしまわないように気をつけようとも思いました。

 

 

 

早く過干渉を止めた~~~い

 

ブログは休憩としてぼちぼち、書きたいときに書く。

またそのうちに。

 

手洗いうがいを忘れるな☆健康第一で。

 

んじゃ、まったねー!