携帯が鳴った


『あと5分くらいで着くよ』


久々に彼女が来る日

いろいろ立て込んでて

ずっと会えなくて

ようやく予定が合ったけれど

仕事上がりの時間からしか会えなくて

とりあえず家に来てもらうことに


飯に出るか…


でも俺が疲れすぎてて

外に出たくない気分

ワガママというか

申し訳ない気持ちでいっぱいだけど…



コンコン!

軽快なノックの音がする


カチャッ!

静かだけどある程度勢いよくドアが開く音


こんばんは!

隣の部屋に気遣いつつ高揚感も感じる彼女の声



入って


会えて嬉しいんだけど

最小限の言葉で済ませたいくらい

口が重い

結果素っ気無い単語ふたつ


いつもならすぐに上がってくるのに

玄関で立ったままの彼女


『ねぇ?今から海行かない?』


『はぁ?!』


想定外で唐突過ぎて

続きが出てこない


立ち上がって向き直った俺に対して

いつの間にか上がってきた彼女は

後ろに回るとお構いなしにグイグイと

背中を押して玄関めがけて突き進む


呆気にとられた俺は

嫌だとも言えず

抵抗することもできず

そのまま靴に足を突っ込んだ


『あたしが運転するからさ!

 寝ててもいいから!』


もはや拉致…


久しぶりに会えたから

いきなり喧嘩も嫌だし

怒るに怒れないまま

車に乗った


どこの海かは教えてくれない彼女

明日もお互い朝早いし

そんな遠くではないはず…


会話はそれなりに弾んだ

会えなかった間の報告とか

面白かったこととか

途中寄ったコンビニで買った

新発売のビールが俺好みで

ちょっとテンション上がった


でも

疲れと車の心地良い揺れが

俺を別世界に連れ去ろうとし始めた


そんな俺を横目で見ながら

彼女は会話をそれ以上無理強いすることなく

運転に集中した


引き際を知っている

そんなところが好きだ…

そして

街路灯に照らされて時折はっきり見える

真剣な横顔が綺麗だ…


…と

浸ったところで記憶は途絶えた






どれくらい時間が経ったのかわからない

軽く揺さぶられながら

着いたよって声がだんだん近づく?

大きくなる?(あ…俺が覚醒したのか…)


目を開けて周りを見る


とある海辺の駐車場


まだ暑さの残る時期だから

はしゃぐ若者たちに遭遇するかと

うっすら覚悟してた…が

どうやら見渡す範囲には居なそうだ


車は何台か停まっていた

車間距離は広めだった

暗黙の了解?




『今日ね

 満月なんだよ』


だいぶ高く上がっていたが

明るく輝く光を

水面は幾重ものスクリーンを

次々と用意して

細やかに映し出す

月明かりだけの煌めきとコントラストが

現実なのか映像なのか曖昧に溶け込ませ

異空間を思わせた


海辺の月夜がこんなにも美しかったのかと

今までにも見たことあったはずなのに

味わったことないほどの感動を覚えた



『一緒に見たかったんだ』


そう思っていてくれたことが

とてつもなく嬉しくて

そう言って笑みを浮かべた彼女が

とてつもなく美しくて

そのすべての光景が幸せで

疲れを忘れた


抱き寄せたくなった


手を伸ばそうと思った時


『外に出てみよう!』

と彼女…


昼間の余韻が消えかけた頃合いで

潮の匂いと少しだけ湿気を帯びて

重さを感じる風


不規則なのに調和の取れた潮騒の多重奏


車の音は波音に掻き消され

人工的な明かりは視野に入らず


本当に異空間に踏み込んだような

そんなひとときにふたりとも漂った


言葉は要らなかった

ふたりとも

たぶん

同じことを感じ取っていたから


ふたりでそこに居て

ふたりでそれを感じ


ふたりで味わえることが

何よりも幸せだと…






『気分転換になった?

 じゃ帰ろ!』


無邪気な笑顔で彼女が言った


愛おしくも神々しさが勝って

手を出しちゃいけない気がして

素直に頷いて車に戻った


帰路はやたら早く感じた


別れ際は離れ難かったけど

余韻のままにそっと見送った


飯に行くとか

どこか観光地に出かけるとか

何かしらイベントをするとか…

そうやって喜ばせるのが幸せだと思ってた


だけど

それに比べたら些細なことであっても

幸せなんだと…気付かされた



それと同時に

俺の中で

何かが変わり

何かが固まった 


次にゆっくりと会えるとき

告げる言葉が定まった


今日と同じあの海で…