サンフランシスコから帰ってから
私は家で悶々としていた。

しかしながら、ここまできて
トレガーをやめるわけにはいかない。
やりかけたことを途中で放棄するのは
私の主義ではない。

私はなぜ手技をマスターすることができないのだ。

生来の物覚えの悪さからきているのか。
ほんとにそうなのだろうか。と自問してみた。

私は、ひとつのことしかできない不器用な人間だ。
手技を説明されて、それをみて頭に入れようとする。
頭に入れたものを、再びそれを自分の指先に伝え、再現させる。
ただ、それだけのことなのに、できない。
なぜそれができないのか。
再び考えてみた。
見たものをそのままを、動作にするということは、つまり模倣だ。
私は、その模倣すればいいことを
余計な思考や感情が横切り
混乱するのではないかと。
それでは、なぜ余計な思考や感情が
介入してくるのか。

私は、トレガーに出会って
トレガーの繊細な感覚に魅せられた。
その感覚をモノにしたかった。
しかし、行われるのは手法ばかりだ。
手法をとらわれると、感覚を得ることができない。
私は、感覚を得ることを優先し
無意識に、模倣を軽視していたのかもしれない。
職人は、技術は体で覚えろと言われる。
何も考えず、とにかく手や体を動かし
体にそれが染み込むまで
何回も何回もそれを繰り返す。
そして、いつの日にか、
それが体にしっかり取り込まれ
何の思考を加えずとも
体が勝手に動く。
それが、身につくということだ。

私は、体が覚えるまで
飽きるまで手法を繰り返していないことに
気づいた。

それからは、ひたすら手法を中心に
繰り返し練習をすることにした。

そうすることで、手が勝手に動くようになり
感覚を探る余裕が生まれた。

あぁ、これなんだ❗とようやく気づいた。
それからは、練習を繰り返した。

練習を重ね、レポートを整理し
レベル3をクリアするために
S氏のテストに望む。

結果的には、レベル3はクリアできたのだけれど、どういう経過を経て、どういう状態で、
テストに望み、クリアできたのか
いま思い出しそうとするのだが
全く記憶にない。
それほど、必死だったのかもしれない。

レベル3をクリアして
いよいよプロテストだ❗❗

次回につづく。


重い気持ちを引きずったまま
サンフランシスコでの講座が終了した。

今回の講座を企画したS氏の提案で
旅の最終日に、先住民の聖地と言われる
シャスタ山の麓まで散策する計画が立てられていた。
ドン底状態の私は、散策を楽しむ余裕などなく
無気力のまま、何も考えず、ひたすら歩き続けた。
ふと見上げると、富士山に似た形の山が
遠方に見えてきた。
富士山のように稜線はなだらかではないが
崇高な山に感じられた。
山を眺めているうちに、涙が私の頬を伝った。
この涙は、道に迷った時の困惑の涙や
焦燥感に襲われた時の悲壮の涙とはちょっと違っていた。
とにかく山を眺めているだけで涙が出てきた。
やがて、涙が止まり、どこかすっきりしている自分を感じた。
浄化されたような、そんな気分だった。
ふと、横を見るとS氏がいた。
「すっきりした?」と聞いてきた。
心中をピタリと言い当てられ、驚いたが
さりげなく目配りしてくれたS氏の心遣いが嬉しかった。

しかし、私の地獄感情は、かなり重症だった。
結果的には、失意をバッグに詰めて
帰国することになった。

次回につづく。


最近、自分の思いをテーマを設け
日記風に書き綴っています。
しかしながら、
この内容はかなり個人的なもので
私をよく知っている方だけに
お話ししたいし
知らない人が読んでも、
何の興味もわかないのではないかと思われます。
そして、最近、全く知らない方の
いいね❗も頂くようにもなりました。
それ自体は有り難いのですか
どうも、その方々は、宣伝が目的のように
感じられます。
それは、私の本意ではありませんので
このブログの閲覧はアメンバー限定に
変更させて頂くことにしました。

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この限りではありません。
気が向いたら、読んでやってください。