詳細については言えませんが

今日、とても理不尽なことがありました。

憤りと悲しみが押し寄せて

ブログを書く気持ちの余裕などないんですが

 

このマイナスの気持ちを払拭したく

あえてブログを書くことにしました。

 

今回は、録画したテレビ番組を再生して

感動した映画についてお話しします。

 

私はNHKのBSプレミアムのシネマ放送が

気に入っていて、お昼に放送されているのと

映画なので、放送時間が長いことから

録画して、家事を終えた夜に観ることが常です。

シネマ放送されたもののすべてが

印象に残っているわけではありませんが

やはり、いいものを観たら

エンドロールまで観て、感動の余韻に浸ります。

 

さて、この観て感動した映画は

「フォエバーフレンズ」という

11歳の時に知り合ったふたりの少女が

紆余曲折を経ながらも、30年の友情を培ったストリーです。

 

https://movies.yahoo.co.jp/movie/19890/

 

内容を一口で言えば、そんな感じで

とりたてて、ユニークな切り口でも内容でもありません。

 

ですが、境遇が全く違う二人の少女が大人になるまで

その友情を持ち続けたこと。またふたりの女優の演技力

とりわけ主役を演じたペット・ミドラーの

演技と歌唱力が素晴らしく、思わず見入ってしまいました。

 

映画は、得てして観る人の人生を

重ね合わせる妙技がある。

 

私もその例のひとり。

 

人生の後半を迎え

それなりの友達もできた。

 

その時、その時の新しい友達もできた。

逆に、自然消滅した人

なんとなくウマが合わなくなって疎遠になった人

ぎくしゃくして、どちらかともなく縁がなくなった人

そんな人もいる。

 

また、ライフスタイルの変化などから

疎遠になっていた人が、子育てが一服したことや

単なる同級生だと思っていた人が

思わず出会ったことで、友情が芽生えた

なんていう人もいる。

 

ただ、この歳になって

新しい出会いを求め、新しい友人をつくったり

単なる知人を多く作りたいとは思わなくなった。

 

現在、つきあっている友人のほとんどが

10年から20年と交際期間が長く

なんでも忌憚なく話せる友達ばかりである。

 

私の友達は、日頃あまり連絡を取り合ったりしないのだけど

何かあると駆けつけてくれる。

心配事を話せば、一緒に心配をしてくれる。

 

先日、コンビニの駐車場でこけて

顔を打ったことをブログに書いたら

友達が揃って、心配してメールをくれた。

 

私はいい友達に恵まれて幸せモンだ。

ひょっとしたら、私の一番の財産かもしれない。

 

なのに、私はこんないい友達に何の恩返しもしていない。

助けられてばかりいて、助けたことがない。

 

メールがくれば、返信をおくる。

電話がかかれば、それに応える。

 

そのぐらいのことしかしていない。

 

それでも友達は友達でいてくれる。

この場を借りて、私の大切な友達に

感謝をこめて

「ありがとう」と言いたい。

 

 

 

 

 

退院して、早1か月半が経ちました。

 

とりたてて忙しいわけではないのですが

なんとなく時間が過ぎ、バタバタしております。

そんな中、合間をみて

これまで録画した番組を片っ端から観ています。

とにかく録画だけはせっせと行い

観るのに一苦労するほど録った。

どうせ観ないなら、消せばいいんですけど

リストを見ると、観たいものばかりで

どうしても消せない。

 

で、ひとつひとつ観ていこうと。

まず再生したのは

NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」

自分自身がガンであることもあって

どうしてもこういった重く暗いテーマに目が行く。

 

でも、観てよかったと思う。

 

「多系統萎縮症」という

徐々に体の機能が衰え

しまいには食べること、飲むこともできなくなり

最後は、心臓まで働かなくなって、死ぬ。

という病気にかかり、52歳にして

安楽死という死に方を選んだ女性のドキュメンタリーだ。

 

体が動かないこと。その苦痛。続く苦痛。

そうなったら、死にたいと思うのは当然だろう。

彼女はその苦痛もさることながら

体の機能がだんだん衰えてきて

自分が自分でいられなくなること。

自分がそんな状態で、周りの人にどれだけの犠牲を強いるか

という罪悪感。

なんども自殺を図ったが、その力がなく未遂に終わる。

自分で死ぬことさえできないと、嘆く。

 

彼女には歳の離れた姉ふたりと歳のあまり違わない妹がいた。

歳の離れた姉たちは、彼女のことを幼少の頃から

わが子のように可愛がっていた。

そして病気になっても、二人は彼女の世話をし、支えていた。

彼女は、ふたりの姉に感謝し、スイスでの安楽死を提案した。

ふたりは、その提案に驚いたものの、彼女が求めるのならということで賛成した。

 

ふたりの姉は彼女の提案に賛成したものの

スイスに着いても、賛同したことに躊躇していた。

ちなみに下の妹は、最後まで安楽死に反対していた。

病院でも、すぐに安楽死のための用意をすることはしない。

今一度、決意を確かめるために、一日の猶予が与えられる。

そして、翌日彼女は安楽死を決断した。

 

彼女の手によって、点滴のレバーが開かれ

少しづつ液が落ち始める。

彼女は、徐々に意識が遠のくなか

ふたりの姉に「ありがとう」とはっきり言う。

ふたりの姉は彼女の手をしっかり握りしめる。

まだまだ三人は言葉を交わしたかっただろうが

点滴が落ち始めてから、一分も経たないうちに

彼女は息絶えた。

 

安楽死は、こんなにもあっけないものかと驚いた。

 

彼女が死んで一年後

ふたりの姉は桜の下で、語る。

 

「いまでも安楽死に賛同したことが

よかったのかどうか、わからない。

ただ、最後に妹は『ありがとう』と言ってくれた。

それが、これからの私たちの生きる支えです。」

 

と清々しく語って、番組は終わった。

 

「多系統萎縮症」は想像を絶する病気だ。

私はガンだが、自分で食事を摂ることもできるし

トイレにいくこともできる。

体が動かなく、食事を自分で摂ることもできず

やがてしゃべることもできなくなる。

彼女でなくても死にたくなるのは当然だ。

 

私は、入院していた時

ご主人が同じ病気の人を知っていた。

彼女は私と同じリンパ腫で入院しているにもかかわらず

「多系統萎縮症」のご主人が頻繁に電話してきて

自分の症状を嘆き「死にたい。殺してくれ」と連呼していた。

症状がひどく、最愛の奥さんに嘆きたいのはわかるが

彼女も入院して病気と闘っている。

 

番組を観ていて、その姿が目に浮かんだ。

 

人間は、苦しみや死を目前にすると

その本性が露出する。

不安と恐怖におののいて、周りの人に当たり散らす人。

うつ状態になって、自分中に閉じこもる人。

そんな中でも周りの人に感謝を忘れない人。

 

そのどちらがいいとは、誰もがわからない。

感謝を忘れない人が立派だと拍手するなど

そんな単純なものでもないと思う。

 

ただ、姉たちに感謝する彼女。

甲斐甲斐しく世話をし、最後まで安楽死に同意したことに

迷っていたお姉さんたち。

 

その姿に、私は涙があふれた。

 

人を愛するとは、こういうことなのだ。

と思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日平凡な日々を送っていて

あえてブログに書くこともないと思っていたのですが・・・

 

昨日、コンビニの駐車場でこけて

現在、右目の目頭が青黒くなっています。

 

時々、夫と近くのコンビニに行きます。

ほとんどが夫の要請で付き合うことが多く

私が運転していきます。

昨日も、夕方夫の誘いで一緒に行きました。

 

買い物を済ませ、私がレジで精算をして間に

夫が先にでて、車の補助席のドアが開くのを待ちます。

私がキーをもっているので。

 

いつものように、私は店をでて

車止めのブロックをまたいだのですが

足がひっかり、顔から倒れてしまいました。

 

私は病気のせいで

足がむくんでいます。

そのせいか、足があがらず階段などを上る際

往生します。

 

足の上がり方は、思いとギャップがあり

上がっていたと思っていたものの

上がっていなかったということもしばしば。

家の中で、よくこけます。

 

ですから、障害物があるときは

なるべく注意しているのですが

昨日は、派手に転びました。

顔から転んだので

眼鏡のレンズも壊れました。

顔が痛く、しかも倒れたので

浮腫んだ足では起き上がれず

しばし、そのままうずくまっていました。

 

夫は、私の気配をみたものの

一向にドアが解錠しないので

運転側のきてみると

私が倒れているのに驚き

「つまずいて、倒れた」と言うと

「あぁ、ワシがコンビニに行こうなんて言わなくちゃよかった

ワシのせいだ!」

と異常なくらいに動揺し、私を補助席に乗せると

家まで運転していきました。

 

家に帰っても、夫は自分を嘆き

冷たいタオルを持ってくるなど

甲斐甲斐しいこと。

私はそんな夫の献身ぶりは有難いのだけど

こちらは大層痛い。あまり大きな声は出してほしくない。

 

指からも血が出ていて

冷水で洗い、消毒薬を探すものの、ない!

夫は、いまから薬局で買ってくると言うが

彼は昨日から体調が悪く

この日は人工透析を終えたばかりで

血圧も低い。

そんな状態で、薬局へ行ってもらいたくないので

「いい!」と私の方も大声をだして、たしなめる。

 

お互いがお互いを思いあう美しい話だが

私たちの場合は、語調が強く、とにかくうるさい!!

たぶんお互いそう思っていると思う。

 

しばらくして、ふたりの大騒ぎがおさまったが

ひとりになると、情けなくなった。

 

ころんだことより

ころんでしまう体だということを再認識させられたことが

悲しかった。

 

それでも生きなくちゃね!