もうお盆が終わりましたね。

 

お盆と言っても

私の場合、お墓参りをするだけですが。

 

私の実家は海の近くにあります。

海は家とはすぐ目の先にあります。

歩いて、3分もしないうちに、堤防にたどり着きます。

 

私は、幼少の頃から、この海岸は生活の中にありました。

小学生の頃は、簡単な釣り竿に餌をつけ、魚釣りをしました。

餌をつけるのが苦手で、となりで釣りをしているおじさんに

つけてもらい、釣っていました。

当時は、この私でも魚はよく釣れ、小鰺、さより、縞鯛などが釣れました。

それを家に持ち帰ると、夕飯の煮物になっていたり、翌朝の味噌汁の具になっていて

自慢げに、それを披露していました。

 

また、風のない暑い日には、ほたるいかが海岸に上がり

遠くから夜に訪れる人も多くいました。

私は家族が眠っている時、そっと起き

バケツと網をもって、いそいそ海岸に行きました。

海岸では、いわゆる身投げするほたるいかをすくいあげるのですが

それがナカナカうまくいきません。

隣にいたおじちゃんが、その様子をみて

可愛そうに思ったのか、自分が獲ったものをわけてくれました。

私はそれを持って、家に帰り台所に置きます。

そうすると、翌朝の食膳に、ほたるいかのからし酢あえや、刺身が並んでいました。

私は、自分で獲っていないにもかかわらず、釣果を自慢したりしました。(*_*;

 

母が嫁姑問題で悩んで、家をでて佇んでいた海岸でもあります。

 

売薬業を営んでいた父が販売先へと旅立ち

寂しくて、泣き明かした海岸。

 

ひとりでいることが好きな私は

暇さえあれば、波打ち際に座り、海を眺めていました。

眺めていると、空を飛ぶ魚がいて、びっくり!

後で、それがトビウオだということがわかりました。

蜃気楼もみました。

 

お盆時は、みんなで海岸にでかけ

たいまつのようなものに、火をつけ

それを海に流す、いわゆる送り火のようなこともしました。

 

その海が、徐々に進む海岸浸食によって

佇んでいた場所のほとんどがテトラポットで埋め尽くされています。

あの時の風景は、あっという間に消えてしまいました。

 

実家に行くことがあっても

近くにあるのに、立ち寄ることもなくなりました。

 

ふと思い立ち

高くせりあがった防波堤をくぐり

海岸にでてみると、景色はすっかり殺風景になったものの

海で過ごした思い出が、走馬灯のように甦ります。

 

年老いて

わが人生の原点であると、しみじみ思い返します。