私は、小さい頃は、理屈ぽくネクラであったように思います。
人はなぜ生きるのか。
人は何のために生きるのか。
生きがい、ってなんだ。
なんてことを小学生ぐらいから考えていました。
あれは20歳頃でしょうか。
私はOLでした。その頃はBGなんて言っていたかもしれません。
BGとはビジネスガールの略です。
当時、学生運動や労使間争議が盛んだったように思います。
私は特定のイデオロギーに傾倒していたわけでもなく、
勤める会社の労使関係は、労使協調を掲げる穏健派で、
確か所属する労働組合は「同盟」だったような気がします。
私は思想的なことや労使の定義など、論理的に深く考えたこともなかったのですが
世の中は、会社を経営する人、そこで働く人に大別され
それぞれが、それぞれの立場で働いているけど
人権的には対等だと思っていました。
ですが、会社を経営する人は社員の給料は経費にあたるわけで
それが増えれば、当然会社の利益が減る。
会社は基本的には、アップダウンの命令形式の業務スタイルで運営されている。
そこで経営者は、持てる力で、人事異動を強要し、あるいは解雇したり、格下げ、減給にしたりできる。
だけど、現場で働く人々つまりサラリーマンは、
働いてスキルアップして給料が上がり、生活をレベルアップしたいと思っていても
それが叶わなかった時、それに抵抗するには
働くという労働力で対抗するしか太刀打ちできない。
それは個人の力ではどうにもできないから
現場で働く人々は団結して、抵抗し、要求を勝ち取ろうとする。
その抵抗の手段として、ストライキがある。
私が青春時代を送っていた時は
ストライキが盛んだった。5月1日のメーデーの日も大いに賑わっていた。
私も現場で働く人間でしたから、ストライキには賛成でした。
ある朝、父は朝刊を広げ「国鉄(現:JR)のストライキ決行に目をひそめていた。
「勝手に、汽車(当時は国鉄のことを汽車と呼んでいた)を止められては
こちらは商売に差し支えてしまう。困ったもんだ」と。
富山の売薬さんだった父は、当時販売地で売る薬を
国鉄の貨物便で送っていたのだ。
サラリーマンでない父は
「会社員は、毎月の給料が保証されているけど
わしら商売人は、自分の足と手で働かないと、一円も得ることができない。
そのことを国鉄で働く人はわかっているのか。自分のことばっかり考えて!」
と怒っていました。
なるほど。父の考えもわかる。
人は立場が違うと考えも、思いも違うのだ。
私は一応働いてはいるものの
両親が住む家に同居して、住む場所、食事を提供してもらっている。
それは両親の経済力に支えられているわけだ。
その経済力を作っているのは、父の仕事だ。
その仕事で得られる収入を、ストライキによって危うくしている。
私は四面楚歌に陥った。
ストライキを支持すべきか、せずべきか。
しかし、私が悩んでいるうちに
ストライキは終了し、父はぶつぶつ言いながらも、せっせと荷造りをしている。
生きるって、理屈じゃないんだ。
悩んでも腹は減る。
悩んでいても、毎日生きていかなくちゃならない。
それに気づいたのは
ずいぶん歳を取ってからだ。
動物は、俺はなぜ生きているんだろうと悩んだりしていない。
生きているから生きている。
こう言ったら、非難されるかもしれないけれど
夢とか目標とかは、生きるための方便でしかないのかもしれない。
生きているから、生きる。
それには方便であれ、なんでもこじ付けて
楽しく生きるしかない。
だろうな。