3月上旬に、坂上忍さんがMCの番組で
世界一のIQ 188をもつ20代の男性が
紹介されていた。
IQ が高いとどうなのか
私にはイマイチよくわからないけど
希少な人であることと
なんとなく想像力と創造力に優れている
イメージがある。
これからは
そんなオリジナルな個性が求められるわけで
彼の能力を活かすことが
世のためでもある。
たが、現実的には彼の能力は
活かされていないと言う。
それを阻むのが学歴。
実力主義のアメリカでも学歴の壁が
はだかったと言う。
学歴とは何か?
まー、ひとつのモノサシだろう。
世の中は、階段を上るごとに
チェックする。
チェックのツール、とりわけ学校の選択に
学歴というツールは便利だろう。
しかし、それでいいのだろうか?
所詮、ツールは基準値を元に測る。
と言うことは、平均的なものしか
抽出できない。
世の中の需要として、それも必要なことだが
そんな人ばかりでは
新しい未来は創造できない。
稀有な人は必要なのだ。
たが、それを見つけ
見分けるスカウトマンがいない。
才能ある人材を見つけるのは
難しい。面倒。
そんなことから、入試担当者や採用担当者は
安直に、学歴というモノサシに依存する。
職務怠慢もいいところだ。
個人的には、私は学歴無用論者である。
私の最終学歴は高卒である。
そのことには、何の負い目もない。
父は大学進学を進めたが
私は、社会というドラマチックな世界に
早く参加したかった。
大卒の人には失礼だが
あんな温室の世界で、趣味とか遊びに
興じ過ごす時間がもったいないと思った。
実際、世の中で仕事をすると
刺激的で楽しかった。
ただ、学歴の壁はないことはなかった。
就職した職場で、就きたい部署を志願すると
それは大卒でないと就けないと言われた。
私には、その根拠や理由が見つからなかった。
対応した人事担当者も
説明することもなかった。
その時初めて、世の中には
納得がいかない理不尽なことが
あるのだと知った。
でもそんなことで
私は嘆いたりしたくない。
学歴がないことで
自分の人生を否定することの
言い訳にしたくない。
私の人生は私のもの。
世の中を見回したり、影響を受けたりするけど
振り回されたくない。
大変かもしれないけど
自分の考えを持って
できるだけ、ぶれない自分を
持ち続けていたい。
ちなみに、私のIQ は
小学生入学時に計った時は
100だったと言われた。
いつだったか忘れたが
大人になって図った時は126だった。
数字的には、少し高めかも知れないけど
それが、いまの私に活かされているのか
いまをもって、わからない。