3/14から昨日まで一時帰宅しました。
1週間バタバタしていて
結局、ブログを更新ができませんでした。
今日、ひさしぶりに更新します。

退院すると炭焼きおじさんに伝えると
家に来ないかと誘われた。
彼が住む山口県行きは、
退院直後で自信はなかったが
思いきって行くことにした。

最寄りの駅に彼が迎えに来てくれた。
彼の家は3階建てのビルになっていて
1階が炭の倉庫
2階が炭焼きの他に営むボディサロン
3階が炭の加工場と自宅になっていた。
私は、2階のサロンで宿泊することになった。
ここで、私は何をするのかと聞くと
彼は、病気の奥さんの世話をして
欲しいと言う。
えっ❗私はここで彼から治療をしてもらうと
思っていたのにと、不満と疑問が湧いた。
彼は、そんな私の気持ちを見透かしたように
まずは、自分の病気のことは忘れること。
それには、目を他に向けること。
人の世話をすることが良策だと。
なので、身近なところで
私の妻の世話をすることがいいと。
なんか、調子がいい話だなと思ったが
とりあえず従うことにした。

彼の奥さんは、心臓に疾患をもち
入退院を繰り返す
ぼおっとしたちょっと変わった人だった。
私は、奥さんを伴って
街を散策することにした。
途中、飲食店に立ち寄り
二人でお茶をした。
彼女は財布をもたず
料金は私が払った。
そんなことを彼女はなにも感じず
あたりまえように振る舞った。
内心図々しい人だなあと思った。

帰って、彼にそれを伝えると
奥さんは財布を持たせると
財布の中身がどれだけあっても
使いきってしまうので
もたせていないと言われた。
で、どれだけかかったと聞かれ
奥さんが使った分を払ってくれた。

それからは、毎日、奧さんを伴って
散策することが日課になった。

時々、ふたりのために食事も作った。
加工場で炭のペンダントも作ったりした。
正直、疲れた。
しかし、そのうちになんとなく
元気になってきているのを感じた。

炭焼きおじさんが言うように
自分の病気を忘れて
人の世話をすることで
元気になるというのは
なまじっか嘘でもないのかと思った。

彼はサロンで、加圧式の健康機器を使って
マッサージ業も営んでいた。
私にもマッサージをやってくれたが
トレガーと違い、強く感じたので
断った。
ついでに、私のワークをしてあげると
いたく喜ばれ、彼の顧客まで施術し
驚嘆され喜ばれた。

そんな毎日を彼の家で10日間過ごし
山口県を後にした。

山口県からは家に帰らず
大阪で開催された
トレガーのイベントに参加した。
お馴染みの顔に会えて、ほっとし
楽しい時間を過ごした。

その後、同じく大阪で開催されていた
千島学会に参加した。

千島学会とは
現在も支持されている骨髄造血説を
真っ向から反対する腸造血説を
唱える故千島博士の説を支持する人々で
構成される団体である。
北海道のジャーナリストに紹介されて
参加することにしたのだ。

千島博士は、骨髄で血が作られるのは
なにか危険が迫った時に
体が異変を感じ、一時的に緊急に
行う造血作用で
通常は、血は腸で作られると
実験を伴って立証した。
しかし、その説は学会で認められず
さらには追放まで追い込まれ
その渦中で、博士は亡くなった。
学会は、その遺志を受け継ぐために
発足されたのだ。

私も千島博士の腸造血説を支持している。
腸は、脳ができる前から
脳の役目を果たしていたと
最近でも言われるようにいる。

私は、幼少の時から便秘や下痢に悩まされ
過敏性大腸炎にもなり
とかく腸に悩まされていたので
快便を経験した時は
体が一変したようにも感じた。
その体験から、命を握る鍵は腸ではないかと
直感的に思った。
現に、私の母はいつも快便で
88歳まで元気に過ごし、逝った。

千島学会を終え、帰路に着いた。
徐々に元気になっていったものの
さすがのハードなスケジュールで
家に着いたら、疲れてすぐに床に着いた。

次回につづく。