列車に乗って、四人はしゃべりくりまくった。
でも次の停車駅京都まで長い。
5時間位はかかっただろうか。
次第に四人は無口になり
眠りについた。
朝になり、最初の下車駅の京都駅に着いた。
私たちは当時学生たちが利用していた
ユースホステルを宿泊先にしていた。
最初に訪れたのが古都京都だが、
今回の旅では京都は通過点に過ぎなかった。
ユースホステルは、
宿主はペアレントと呼ばれ
食事は食堂で一堂に集まり食べ、
食後は自分が食べた食器は
自分で洗うのがルールだった。
イメージとして、
ペンションのような建物を想像していたが、
京都のユースホステルは、
普通の一軒家だった。
ペアレントは、
おじいさんとおばあさんだった。
通された部屋は、畳敷の和室。
底冷えする2月の京都。
雪国に住む私たちでさえ、
この寒さは耐えられない。
なのに、部屋にはストーブはなく、
あるのは中央にデーンと置かれた火鉢ひとつ。
こうなったら、風呂に入って
布団にくるまって寝るきゃない。
風呂に入ると、これまた狭く、寒い。
私は風呂で下着を洗い、干した。
私たちは震えながらも眠り、夜が明けた。
とんだ京都の旅だったと、
ぶつぶつ言いながら、私たちは京都を後にした。
途中で、風呂で干していた下着を持って来るのを忘れたのに気づき、みんなに言うと
J子に、「今頃あのじぃさん着けてみてるんじゃない?」とからかった。
妙にリアルで私は笑えなかった。
結局、下着は返送されることはなかった。
いま思い出しても寒気が走る。
大阪も寒かった。風が切れるように、
肌を突き刺す。
湿気の多い私たちの故郷では
考えられない寒さだった。
ところが、旅が南下するに従って
暖かくなってきた。
串本駅を降り、ペアレントのお迎えを待った。
その時、当時若者に人気のあった
ニッサン製のブルーバードSSS 、色も新色のサファリブラウンが目の前で止まった。
運転席から降りてきたのは若いお兄さんだった。
イケメン?ん?って感じのお兄さんだった。
「君たち、今晩ウチに泊まる人たち?」
私たちは、お互いの顔を見合せ
出てくる言葉が見つからなかった。
そのくらい目の前のお兄さんは
態度が大芝居的では滑稽だったのだ。
そうそう、幸せの黄色いリボンで
演じた武田鉄矢みたいな。
この後、彼との道中、どう展開するやら。
次回につづく。