私は、父と母のどちらが好きかと聞かれれば
父の方が好きでした。
父は不言実行の人で、多くの言葉を発しませんでしたが、子供への愛を態度や行動で表してくれました。
出勤する前に、あらかじめ車を暖めてくれていたり(過保護かも)、旅先から入試対策の問題集を送ってきたり(教育パパかも)、英会話に興味を持てば、さっそくプレーヤーと教材(当時の録音プラスチックシート)を買ってくれたりしました。また手先が器用だったので、本立てを作ってくれたり、鉛筆までキレイに削ってくれました。
それに引き替え母は、あっさりしたものでした。
私の勉強には干渉しないし、興味もなさそう。
学業成績についても、とやかく言うこともありませんでした。日々の行動についても監視することもなく、着る洋服にも、自分の趣味を押し付けることもありませんでした。
早い話、放任主義。ある意味とても楽チンな親なのです。人によって、自由を与えてくれるいい母かもしれません。
ところが、私は親の愛を強く求めるベタベタ人間。子供の頃は、なんと冷たい母と嘆いていました。
忘れもしません。
それは私が小学5年生頃のだったと思います。
私は学校へは徒歩で通っていました。
子供の足で30分くらいはかかったでしょうか。
ある日、下校する時、急にどしゃ降りの雨が降りました。登校の時は傘や雨具など持参していませんでした。
教室で止むのを待っていましたが、一向に止む気配がありません。そのうちに、他の友達は、傘を持参した親が迎えに来て、帰って行きました。しかし、家にいるはずの母は、どれだけ待っても迎えに来てくれません。
雨も止まず、途方にくれた私は、びしょ濡れになって、家まで駆けて行きました。
その時の私は、濡れたことの不快感より、惨めと悲しさが全身を包み、どしやぶりの涙を流しながら家路に着きました。
玄関に着くなり、私は「なんで迎えに来んかったんけ」泣きながら、大声で母に叫んでいました。
すると、台所にいた母は、前掛けで手を拭きながら出てきて
「あら❗雨降っとんたんけ」と、さほど驚きもせず言い、私にタオルを差し出すだけであった。
私は、その態度に怒ると言うより呆れてしまいました。
親にベタベタの愛を求める私は、怨み恨みをずっと引きずる執念の人でもあります。
その忘れられない恨みを、大人になっても、心の底に埋めていました。
我ながら、いい性格してるなと、いまでも思っています。
そんなあまり好きでなかった母も、父を亡くし
段々と年老いていきました。
あのあっさり母が、なにかと私に頼るようになりました。
ふと、後ろ姿をみると、一回り小さくなった体を丸めて、ひょこんと座っていました。
なぜかわかりませんが、その時、これまであった母への不満がぶっ飛び、いとおしさに変わっていました。
いまでも、どうして自分がそんな気持ちになったのか、わかりません。
私を生んで育ててくれたのは、
この目の前にいる母。
母は母。この世にいるたったひとりの私の母。
この世にいる限り、大切にしなくちゃと
私自身、本能的にそう思ったのかもしれません。