私は、2004年に「トレガー・アプローチ」という
ボーデイワークに出会った。そのワークに魅せられ、2年間の研鑽を積み重ね、2006に年にライセンスを取得した。
このワークの素晴らしさは、後日お話しするとして。今回は、驚く出会いについて話そうと思う。
私は、研修期間中、たびたび上京し、そこに集まる研修生と交換セッションを行っていた。
そこには、全く面識のない人もいた。
その中に、なんとなく感じる人がいて
話しかけた。なんと、相手の方も同様の気持ちを感じたらしく、私たちは話に花が咲き、
あっという間に、友達になった。
それからは、メル友になり、
頻繁にメールを交換するようになった。
私は、彼女が静岡県在住と知り
思わず、売薬業を営んでいた父のことを話し
静岡県にも販路を持っていたと伝えた。
そうすると、彼女から、家の薬箱に書かれた屋号を知らされ、絶句してしまった。
なんとその屋号は、父のものだったのです‼
私は父の死後、私たちを育てるために、一生懸命働いてくれた父が、どこで、どのように働いていたかを兼がね知りたいと思っていました。
そうすることが、父を偲び、供養することにもなると思っていたからです。
ですが、思いはあっても、なかなか実行ができません。
それが、目の前に父を知る人が突如現れた。
これは、父が会いに行きなさい❗と言っているようなものです。
ちょうど、その時、別件で神奈川県の人が
私にぜひ会いたいという要請があり、
その後、静岡県に足を伸ばすことにしました。
彼女は駅まで迎えに来てくれ、自宅に案内してくれました。自宅に着くとすでに彼女の妹さんがいて、出迎えてくれました。
実は、父のことはしばらく実家を離れていた彼女より妹さんの方がくわしいと、わざわざ呼び出してくれたのです。
父は、亡くなられた彼女のお母さんが、まだここに嫁がない時からの知り合いで、父のことがいたく気に入り、嫁ぎ先にも、配置に来てほしいと頼んだようです。
以降、父は、彼女の家にも配置するようになり、家族のように親しくしてもらったようです。妹さんは、父のことをよく覚えていて「おじちやんに、風船をもらった」とニコニコして話してくれました。また外に出て、「おじちゃんは、ここに車を止めていたんよ」と言われた時、なぜか涙が溢れました。父はこんなにまで、人に好かれ、車に乗って、こんな遠いところまで来て、一生懸命働いてくれたんだと思い、胸がいっぱいになりました。
その後、二人で駅まで送ってくれ、
途中「おじちゃんは、たぶんここで泊まっていたと思うよ」と泊先まで教えてくれました。
本当に感慨深い旅となりました。
家に帰り、さっそく父の仏前に報告をしました。