京都の世界遺産を見に行ってきました。
スペシャルガイドがいたので
世界的にいかに貴重な場所なのかを
しかとレクチャーしていただいたんです。
そこで一番心に残ったものが
このアジサイ。
色とりどりの色彩は
持ち合わせていません。
普段目にするアジサイって
この写真に限らず、
他にも色とりどりの種類があります。
カタカナの名前が付いて
ぼんぼりみたいに
可愛らしい花もあります。
でも、
アジサイは、
日本が原産国なんですって。
しかも、あの緑色1色が
原版。
海外の方が
「とっても珍しい!」と、
言ったか言わずか・・・
海外へ持ち出され、
品種改良を経て
日本へ逆輸入なのだそう。
アテンドをしてくださった
樹木医の方は
「もっと日本発祥だ!って言ったほうが良い!」
声高らかでした。
うん!わたしもそう思う。
<言う。>
っていうと
「私のです。」って自己主張のように
感じてしまうけど、
そうではなくてね、
<自分のオリジナル>というものに
目を向けなきゃね。
こんなニュアンスで
私は受け取りをしました。
日本って、
揃っているコトが沢山あって、
それが当たり前の世界に
私たちはいるわけです。
そうすると、当たり前の基準が
ほかの国と比べると、
すっごく高くなる。
蛇口から水がでる。
3食ご飯を、たべる。
家の中に、風呂がある。
とある国では、
シャワー?が外で、
しかも手桶。
それはもはやシャワーではない。
と言いたいところですが、
「私たちは、ミドル層よ。」
と言われたりもするのです。
話を戻して、
もっと
自分たちの<有る>に
意識を向けた方が
いいのでは?って、こと。
樹木医さんの話を聞いて
いろんな思いがバババーって通り過ぎ、
言葉の粒で拾い
どう表したらいいのか
正直むつかしかった。
この、ふっ って感じたことを、
なぜそう思ったのか?を交えて
文に起こすことって、
ホント大変。
でも、それも練習だし、
これが
自分の<有る>を表現することに
つながるんだと思う。
今は細い頼りない回路だけど、
気づいて、
なぜ?っておもって
文字化することを
繰り返していくと
だんだんと負荷が減って
それが当たり前の世界になると思う。
まるで自転車に乗れるような感じ。
伝えることが
有るのかな?って思うけど
必ず有るんだから、
見つける!ってい意識を向けるから
ふわ~って浮かんでくるのだと
おもいます。
量子力学みたいにね。

