「死にたい」という言葉を聞くとどう思われますか?

死にたいという言葉を聞くのは珍しいことではありません。

死にたいという気持ちを専門用語では希死念慮と言います。


学生さんや、経験のないスタッフからよく聞くのは、希死念慮のある患者さんだというのはわかってはいたけれど、いざ、死にたいと言われるとどういう反応をしていいのかわからない、ということです。


ここで、一つ大事なのは、死にたい、と息を吐くように言う方ももちろん居ますが(これは精神科患者さんに限りません)

そうでなく、深刻に本気で死にたいと思っている人は、だれかれかまわず死にたいと言うわけではありません。

医療者として、信頼している、この人には言ってみよう、そう思ってもらえたからこそ、その気持ちを表出してもらえるのだと思います。


その気持ちにはできる限り答えていきたいですし、伝えてくれたことにありがとう、と伝えてもいいと思います。


そして、死にたいと言う方には、死にたいと思うくらい辛い気持ちや、事実、出来事があります。

とてもつらいことが一つの方もいれば、色々な出来事が重なって辛い方ももちろんいます。

そういった気持ちをゆっくり時間を取って聞いていくのです。


中には、死ぬのは悪いことですか、私の命なんだから別に良くないですか、といった事を言われることもありますが、イエス・ノーでは答えないほうがいいと思っています。


そうではなく、自分たちは死んでほしくないと思っている、あなたの事を心配しているという気持ちを伝え、その上で、やはり、そう思うくらい辛い気持ちを教えてもらえるよう話を聞きます。


そういった話を聞いていく中で、気持ちが落ち着かれる方も多くいます。



話を聞いた中で、医療者として介入すべき問題点や、ご家族への情報共有が必要な点も見えてくることも多いです。


また、そういった要因が精神疾患により視野狭窄をおこしているのか、そうではなく切迫した問題としてあるのかもアセスメントしていきます。



と同時に、周囲の環境からリスクを減らしていく(行動化できそうなものをできる限り排除していく)アプローチも行います。


リスクをゼロにすることはできませんが、行動化まで難しい環境であればあるほど(要するにハードルを上げる)、行動化するリスクは下がります。



ただし、中には切迫性はないものの、将来的には必ず行動化すると思われ方もいます。

そういった方に、いくら自殺しないように伝えても、難しいことが多く、

出来れば、今日、死ななくてもいいと思える理由を探していけるようアプローチしていくことも必要だと思います。