精神科の患者さんへのケアって言われたら何を思い浮かべますか?


患者さんの情報なくそう言われると

教科書で死ぬほど繰り返されて、大体の看護師、看護学生が刷り込まれてるのは

「傾聴」

「共感的理解」

ってとこでしょうか。



基本的な患者情報がわかっていても

うつ病や双極性障害、はたまた症状に抑うつ状態なんてあれば、大体出てくるワード、傾聴。


もちろん、間違ってはないんです。

教科書でも繰り返されるくらいなんですから。


私も昔、学生さんに

「傾聴ってなんですか」なんて聞かれて、返答に詰まったことがあります。


その時は確か、

傾聴って看護師がちゃんと聞いてると思い込んでるだけじゃ成立しない、患者さんが聞いてくれてる、寄り添おうとしていると思えるようにしないといけない。

なーんて返したような。


もちろん、今も、「傾聴」をしたと言うなら、患者さんが聞いてもらえたって思わないと意味ないとは思っています。

ただ、もっと大事なのは、そこに持っていく、つまり話を聞くまでのプロセスだな、とも思っています。



調子が悪そうであれば自分から声をかけて、傾聴します、つらい気持ちを聞いていきます、なんてスタンスはどの段階の患者さんにも適切なのか。


私は、もちろん、入院したばかりの抑うつ状態がつよくて、なんて方には必要だと思います。


病院という場所ではネガティブな気持ちを吐き出していいんだ、と思ってもらえると同時に、看護師との信頼関係を築いていく必要があるからです。



でも、だんだんと症状が落ち着いてきた段階で、そのスタンスはどうでしょうか。


もちろん、まずは患者さんから声をかけてもらえるよう、聞かなくても表出してもらえるようにしていけることは必要です。

表出できずに溜め込んでしまうことでストレスになっていた方は、ちゃんとストレスを口に出すのはとてもハードルが高いからです。

繰り返し訓練していかなければいけません。


ただ、話を聞いてもらえるだけで落ち着くのよ、なんていいながらちょこちょこ話しかけてくる人は、それでオッケーでしょうか。


退院したら誰が話を聞いてあげるんですか?

家族にお願いをする、という手もあると思いますが、それだと結局うまく行かないことが多いです。


家族は誰も、看護師と同じ時間をかけて、看護師と同じだけ心配している風に、看護師と同じだけ丁寧に、看護師と同じだけいつでも、看護師と同じだけ私情を挟まず、話を聞くことは出来ないからです。


そうなると、家族は一生懸命、本人の話を聞いているつもりでも、本人は話を家族にはぜんぜん聞いてもらえない、と不満に繋がります。

もちろん、本当に聞いているのかいないのかという情報は必要ですが。


不満につながると、それが家族関係に悪影響を及ぼします。

次のストレス源になってしまいます。

それを繰り返すと

結局そういう患者さんもホスピタリズムに陥るのです。