仕事をしていると、児童・思春期にあたる年齢層の子にもよく会います。
人生で一番多感な時期に、大人が思うよりも随分敏感で傷付きやすい。
言葉の選び方には気を使います。
大人の言葉や、仲間の言葉に傷つき、
ボロボロになっている子供をみると
昔を思い出します。
私も昔、いじめられていたことがあります。
苛められていた、という表現が正しいかどうかはわかりません。
表立っては何もなかったのです。
ただ、持ち物がなくなったり、大事なものを隠されたりしていました。
今でも誰がしていたのかわかりません。
小学校6年生の時。
一番覚えていることは、体操服が無くなった時の事です。
母親に、体操服が無くなった事を伝えたときに
「もうすぐ卒業なのに、新しいの買わないといけないの?勿体ない」
と言われたことが、もう15年程経った今でも、心のどこかに引っ掛かっています。
今ならわかるんです。
私の母親は、あまり深く物事を考えるタイプではなくて、思ったことをそのまま口に出しただけだって。
別に、今も母親との関係は悪いわけではありません。
でも、あの時、違う言葉が一番だったら、と今でも思うのです。
私の心配よりも、体操服の話を先にするのか、と絶望しました。
結局、体操服は見つかり、その時は新しいものを買わずには済みましたが、ほどなくして、また体操服は無くなりました。
その時、一番に沸き上がった感情は、母親に怒られる、という感情でした。
どうして、そう思ったのかわかりません。
でも、そう思ってしまうと、家に帰りたくない、と、教室の隅で体育座りして誰もいなくなった教室で号泣した記憶があります。
幸いにも、担任の先生が気付いてくれて、一緒に家についてきてくれました。
担任がどんな風に説明してくれたのか、とか全然覚えていません。
ただ、母親には怒られませんでした。
というより、何も言われなかったと思います。
結局、体操服は小学校のドブ掃除の時に、ドブから発見されました。
クラスの子が、嫌がりもせずにみんなで洗ってくれて、本当に嬉しかった。
でも同時に、この中に捨てた人が居るんじゃないか、と思うと、目の前の善意を本当に信用していいのか、という気持ちになった事を覚えています。
母親とは関係は悪くないですが、何か自分のなかで重要な決断をするときは、今でも一言も相談しません。
事後報告です。
進学先も、就職先も、希望の科も。
たった一年間の出来事なんです。
でも、無意識の中で性格の基盤を作っている時期だったんだとおもいます。
大学生の時に、仲良くなった友達に、ふと言われた言葉があります。
「自分のこと、言っているようで全然言ってないよね」
って。
「信用されてないのかなって悲しくなる」
って。
自分は信用していると思っていた友達にも無意識でラインを引いていたのか、と怖くなりました。
精神科を希望した理由はこれではないのですが、精神科医と話していたときに、ふとこの話をしたことがあります。
その先生は、話をしてくれてありがとう、と言った後に続けました。
そういう一見、闇のようなエピソードがあるからこそ気付けることがあるし、闇がある人の方が、闇のある子は信用して自分を見せてくれるんだよ、と。
でも、これから先、自分の心のなかで折り合いのつかないモヤモヤした気持ちは、病棟で子どもに会う時だけではなく、自分が子どもを産んで育てたときには、自分の子どもに対しても抱いていくことになると思うよ、と。