いや~いろいろあったこの5日間。
本気疲れたわー。。 マジ修羅場くぐってっから俺。
ラオスに入り、そこからずっと小さな村を転々としていた。ツーリストバスに乗るのはなんか負けた気がして、ローカルバスやトラックの荷台を乗り継ぎ、ラオス中部にあるベトナムとの国境を目指していた。
トラックの荷台・・・・ よく日本でも田舎に行くとトラックに豚がたこ詰めになってるのを見る。あんな感じ。でも俺は豚じゃない。でもあんな感じ。
観光客が一人もいない。この5日間1人も会わなかった。
あのどこにでもいる欧米人バックパッカーでさえも。1日に話す言葉はサバイディー(こんにちわ)コープチャイ(ありがとう)のみ。それを5日間続けた。軽く鬱になりそうだった。
とある小さな村に行った時の出来事。
真っ裸の子供がひよこと追いかけっこをしている。パンツ一丁のおっちゃんが牛をひいている。高床式の家でのんびりする家族。よくある農村の風景に癒されていた。
すると、突然ライフルを持った警察官と私服警官に一気に囲まれた。
そしてそのまわりをギャラリーが囲む。警官12~3人。ギャラリー15人位だろうか。
英語をしゃべる警察官が「止まれ!!パスポートとカメラを出せ!!どの町から来た!?どーやって来た!?何の為に来た!?」と言い寄ってくる。
反抗すればマジで撃たれるんじゃないかって位の勢いで。
素直にパスポートとカメラを出す。 入念にチェックをしている。
「何事だ!?俺が何したっていうんだよ!?名前忘れたけど、タナカみたいな名前のような村からトラックの荷台に乗ってきた。目的はない。ただベトナムに抜けたいだけだ!」そう答えた。
警官は全てをチェックし終えた後、答えた。
「この村は外国人が見てはいけない村だ。すぐにでも出て行け。」
「そんな村があるのか!?」
「そうだ。これは国が決めてることだ。だからここでお前が撮った写真は全て消させてもらう。」といいその村の写真は全て削除される。
それから「お前は修行僧か?お前の着てる服はこのカメラに写っているインドの修行僧と同じ服だろ?」そんな意味のわからないような尋問を20分程続け、解放された。
よく南米とかで偽警官による荷物チェックで盗難に遭うという話は聞くがそんなんでもなく、ほんとにいけない地域だったらしい。 ラオスにそんな極秘地域があるとは知らなかった。恐ろしくなり、すぐにその村を出た。
そして無事に国境まで辿り着く。
ラオスの出国を済ませ、ベトナムへ入国する。
国境から120キロ程離れたビンという町を目指す。
ベトナムという国。これがまたうっとおしい国で、必ずどんなものにも現地人価格と外国人価格が存在する。食べ物、タバコ、バス。それがあまりにも徹底されすぎてて、それに気付かないツーリストもたくさんいるだろう。
ツーリストが現地人価格でというのは不可能に近いだろう。
入国管理局の女の子に「ビン行きのバスはいくらだい?」 と事前に聞いておく。
「たぶん100000ドン(6ドル)位だと思うよ!」そう言われる。
そして実際にバスに行って値段を聞いてみる。運転手が入国管理局の係員と相談している。 その時点でこの国はおかしい。
イスラエルからエジプトに陸路で抜けた時も同じだった。政府の係員が一緒になって金儲けをしているのだ。
そして何故か、係員が答える。「60ドルだ。」
俺も答える。「アホかwww さっきそこの女の子が6ドルって言ってたぞ。だったらヒッチハイクでもするわ。バイバーイ!」
すると運転手は入国審査官の女の子に文句を言いに行く。「なんで言うんだ!?」と。
ベトナム。そんな腐りきった国だ。
ほっといて俺は歩き出す。 運転手が追いかけてくる。「わかった。20ドルでどうだ!?」
「バーカ。10ドルなら乗ってやんよ。」
「わ、わかった。」
そして交渉成立した。運転手はまだボッタクリ係員と何かを相談している。ほんとにうっとおしい。
俺はバスに乗り込む。バスと言ってもワゴン車に俺一人。
そしてバスは走り出した。 運転手がタバコをくれた。それをもらって吸った。
現地人が観光客にタバコをくれるというのはよくあること。「welcome」という意味をこめて。特にイスラム圏ではその傾向が強い。
もらったタバコを吸いながら考えていた。
「ビンかー!!どんなとこなんだろ。10代の頃、(ビンダビンダー!!)とか歌いながらビンのまま焼酎一気飲みしてたなー。あの頃に戻りたいなー。あー焼酎飲みてっ!!」 そんなくだらないことを考えていた。
タバコを吸い終わって、5~10分経った頃だろうか。
軽く全身がしびれはじめた。
みるみるうちにひどくなっていく。頭の先から指先、つま先まで。
そしてミラー越しに運転手と目が合った。
「こいつの仕業だ。。。あのタバコだ。」そこで確信した。
意識をしっかり保とうとする。しかし、もう体は全く力が入らなく、自由が利かなくなっていた。
「このまま行ったら、身包みはがされて、パスポートも全財産も奪われて、山に捨てられる。」
そんなの絶対ごめんだ。
「そうなる前にこの車を抜け出そう。そして民家で休ませてもらおう。」そう判断した。
まだ車は走り出して10分程。10ドル渡せば降ろしてくれるだろう。
「STOP!!!!STOP!!!STOP!!!」そう叫んだ。しかし、自分でも口が動かなくてしゃべれていないのがわかった。 腕も動かせないから全身を使って運転席に何度も体当たりをした。
そして、最後の力を振り絞った。
10ドルを座席に置き、車のドアをあける。軽く車は動いてるままにも関わらず、バックパックを蹴りだし、自分も飛び降りた。そして這うように民家に駆け込んだ。
「help me・・・ help me・・・」そう叫びながら。
そして倒れた。
言葉が通じてなくても俺の異常なまでの全身のけいれんでその人達もわかったようだった。
すぐに家の中に連れてかれ、枕を用意される。
俺のとても人間の動きとは思えない動きに子供達も怯えてるようだった。
お湯を差し出してくれたりいろいろ親切にしてくれた。でも、それを受け取ることすらできなかった。
自分の全身のけいれんとシビレを見て、本気で怖くなった。
「俺このまま死ぬんかな・・・」本気で考えていた。
そしていつのまにか眠っていた。

3時間程眠っていた。
そして目覚めた時けいれんは止まっていた。まだ軽くシビレが残り、全身に力が入らないものの、何とか立つことができた。

「ビンへはどうやって行くんですか?」
言葉が通じないから全ては絵を書いてのやりとりだ。
「その体で行くのかい?」
「行きます!」
「そうか。。。この村からはバスは出ていない。テイソンという町からバスが出てる。テイソンまでバイクで送ってやる。乗ってけ!!」
そしてカブのケツに乗り、バスまで送り届けてもらった。
すごく親切な人だった。

そして無事バスに乗り、ビンへ辿り着いたのだった。

旅をするのに言葉は必要ない。多少の不便はあるものの、言葉が通じなくても心で通じ合える。なんとなく自分の言いたいことは伝わるものだ。
ただ、こうやって人に親切にされた時、自分の心からの感謝の気持ちを100%伝えることができない。
それがとても悔しい。 ただひたすら合掌して頭を下げる。それしかできなかった。ベトナムも仏教国だからなんかしらはそれで伝わってるはずだが、やっぱり悔しい。
彼らの住所を聞いたから、帰国したらラオ語で手紙を書こう。

今思えば、政府の人間とドライバーがグルになってそんなことをしていたと思うと恐ろしい国だ。 まじでクサりきってる。

とにかく俺まだ生きてるよ!!旅はこんくらいのトラブルがあった方がおもしろいもんだ!あと、帰国まで23日。思いっきり満喫してやろう。