この先ちょっとバタバタしそうで、
次にいつブログを更新できるかわからないので、
今日は一気に一週間分の日記を更新しました。
 
かなり疲れてきていますが、
読み返して誤字脱字を直す間もなくようやくここまで来ました(;´∀`)
なんだかいつもに増してきっと文章ひどい。
 
昨日今日の夕方は東京でゲリラ豪雨や落雷がひどく、
かなり長い時間電車が止まったり、停電したりしていたようです。
 
昨日までは福井に住んでいるモミジちゃんという友達が東京に遊びに来ていたのですが、
連絡のタイミングが上手く合わずに顔を合わせることが出来ませんでした。
 
おまけにモミジちゃんが滞在していた場所付近は全ての電車が落雷で数時間に渡り止まったいたようで、
帰りの新幹線の出る品川駅までタクシーを使ってやっと辿り着けたとのことでした。
品川までは16キロくらいあるから、一体タクシーいくらかかったんだろう。
 
「Qちゃん、電車が動いていないの。今から車で来て貰うの無理かな?」と途中でメールを貰ったのですが、
残念ながらその頃私らは同じ東京都でも、はるか奥地の奥多摩へ遊びに行っていました。
モミジちゃんごめんm(__)m
迎えに行ってあげたかったけれど、あまりに遠く離れすぎていたよ。
会えなくて残念だったね。
また今度会おうね!
 
 
 
 
以下、つまり奥多摩での休日のひとときです。
 
 
 
 
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目的は御岳山のケーブルカーに乗って山の上に行くことでしたが、
目的地に着いた頃、ちょうど大粒の雨がばらばらと降ってきたので、
ひとまず昼食にすることに。
「釜飯食べたいなぁ。」というニョロちゃんの希望から、
釜飯屋さんへ。
 
 
 
 
 
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私の頼んだ、山菜釜飯セット。
右側の釜に入っているのは野菜スープです。
すごく熱かった(+o+)
 
 
 
 
 
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ニョロちゃんは、きのこ釜飯セットを注文。
山菜釜飯・きのこ釜飯共に1470円でした。
野菜スープと野菜の天ぷらと刺身こんにゃく、漬物付き。
観光地にしてはまあまあ手頃かな。
急に降ってきた雨のせいもあって、お店はごった返していました。
 
 
 
 
 
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ふうふう言いながら釜飯を食べ終えて、
お店を出るとすっかり雨が上がっていました。
 
気になったのは、向かいのお店の看板(@_@;)
 
ここは一応東京都の端っこなのですが、
何故か北海道の利尻や礼文島の文字の数々。
 
「産直日本一のりしり昆布・ダシ・早煮コンブ
メノー石 リュウの店 礼文島香深産品 やわらかく おいしい
礼文民芸木彫民芸品・アクセサリその他色々 マリモ ビール・缶・ペット」
 
と書いてあるでしょうか。
かなり暗号のようで解読が難しいですが、味と謎のある看板です。
 
 
 
 
 
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そして、もやもやとした謎に包まれながらも、
次なる目的地(その場で決めましたが)である、奥多摩湖=小河内ダム(おごうちダム)へ到着です!
 
小河内ダム詳細は、
東京都水道局のホームページで紹介されています。
 
 
 
 
 
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ここは東京とは思えないほど、雄大な自然に囲まれています。
目立った大きな建物やお店などが周囲に殆どない分、
神奈川や山梨のいくつか湖やダムより、
綺麗なところのように思えます。
 
 
 
 
 
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ダム周辺案内図。
 
中央右あたりに“人口降雨発煙所”というのがあり、
最近よく目にする『気象コントロール』が思い浮かんだので、
気になったので調べてみました。
 
やはり人工的に雨を降らせるために雲を発生させるためのものみたいです。
世界の一部の国で気象コントロールしているというニュースを他人事のように聞いてきた私は、
こんなに身近なところでも気象制御をしている(実際に出来るかどうかは知らないが)と知り驚きました。
 
 
 
 
 
 
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現在も関東では水不足が心配されています。
ダムの水位も確かに低そうに見えました。
写真の柱の途中で色が変わっているあたりまで、普段は貯水されているのだろうな、と思います。
(黒っぽい部分は普段でも露出しているところで、白っぽい部分はおそらく多くの時期には水中であろうと推測)
 
 
 
 
 
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近くには「奥多摩 水と緑のふれあい館」という、
東京都水道局と奥多摩町が運営している建物がありました。
奥多摩について、または水について知ることの出来る施設でした。
 
 
 
 
 
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地球を巡る水の冒険をピタゴラスイッチ風説明パネルです。
わかりやすいですね。
 
 
 
 
 
 
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奥多摩の歴史や民族についてのコーナーです。
出土された土器が沢山並んでいました。
 
奥多摩自体が土器の材料となる土が豊富なことと、
ヒスイ石は箱根から、
黒曜石は神津島からという交流があったようで、
多くの土器が造られた地だったようです。
 
うーん、勉強になったぁ(^○^)