『海幸山幸』に乗って南郷へ。
宮崎駅を出発すると大淀川を渡る。大淀川は鹿児島県曾於市末吉町を端とし、宮崎県都城市など山間部を通る宮崎を代表する一級河川で、国道10号線にやや沿う形となるが日豊本線など鉄道路線には沿っていないため県外の人には印象がない川かもしれない。写真奥が河口側。幅広い川ではあるものの、昔は市内を湾曲して流れている影響もあり、市内中心部は浸水や洪水の被害も少なくなかった。
大淀川を渡ると数分で南宮崎に着く。日豊本線と日南線(空港線)の分岐駅でもある。昔はどちらかと言うと南宮崎の方が交通の便はよく、駅近くにある宮交シティ(県内バス会社の宮崎交通のバスターミナル)利用することも多かったが、現在は宮崎駅にもバスセンターを含む複合ビル(KITEN)が整備され、だいぶ便利になった。因みに、KITEN(きてん)は“起点”の意味と、宮崎弁で「(こっちに)おいで」、「来てみて」の意味も掛けている。東京・新宿に宮崎のアンテナショップ「KONNE(こんね)」があるが、こちらは宮崎弁で「おいでなさい」、「来てみませんか」と若干優しめなトーンとなる。
JR九州らしい原色の派手な電車が留置していた。
南宮崎から日南線に入る。田吉駅付近。小さな飛行機が飛んでいるが、多分宮崎空港に隣接する航空大学校の訓練機と思われる。
宮崎空港。愛称は“宮崎ブーゲンビリア空港”。空港の玄関口辺りに沢山のブーゲンビリアが植えられており、春から秋まできれいに咲き誇る。写真右側に宮崎空港を拠点としている“ソラシドエア”の黄緑色の尾翼が見える。
田吉を過ぎて、高架となる宮崎空港線がカーブを描いて分かれていく。空港から市内までは空港線があるものの接続はよくなく、基本的に路線バスかタクシーを利用している。昔、父親が「宮崎から鹿児島まで飛行機で移動したことがある」と言っていたが、そんな短距離区間でも航空路線ってあったんだなと驚いた。
清武川を渡る。見えてきたのは宮崎県総合運動公園にある“宮崎県総合運動公園硬式野球場”。2020年4月から5年間のネーミングライツにより、『ひなたサンマリンスタジアム宮崎』となった。プロ野球の巨人の春・秋キャンプのメイン球場でもある。最寄り駅は運動公園駅よりも木花(きばな)駅が近い。
同じ総合運動公園内にある“木の花ドーム(このはなどーむ)”。宮崎県産の杉材を利用した木造ドームで、上記と同じくネーミングライツにより『ひなた木の花ドーム』となっている。最寄り駅は運動公園駅。因みに木花(きばな)は旧木花村(きばなそん)を基とする地域名で住所として木花はなく、この辺りは熊野(正しくは大字熊野)である。
何ともかわいらしい名前の駅、子供の国駅。駅の目の前に「こどものくに」という公園があり、その最寄り駅である。意外にも歴史は古く、1939年にこの名前となり、それ以前は青島温泉駅として1923年に開業した。
私も幼い頃に遊びに行ったこともあり、その時はラクダが園内にいて、乗ることも出来た。私は多分幼過ぎて乗ることは出来なかった(兄は乗ったと思う)。
青島駅。宮崎を代表する観光名所、“青島”の最寄り駅。この周辺は「青島の隆起海床と奇形波蝕痕」として国の天然記念物に指定されている。青島を含む宮崎中南部の地域は砂岩と泥岩が交互に重なる宮崎層群という地層で、海に沈降した際に波の作用により波食棚(平らな面)となり、砂岩よりも柔らかな泥岩部分がより侵食される。それが隆起した際に現れたのが“鬼の洗濯板”と呼ばれるような波蝕痕である。青島自体は隆起する間に南側からの黒潮と北からの沿岸流により波食台上に土石・貝などが集積された土地である。波食台自体は日本各地で見られ、青森県深浦町にある“千畳敷”や“江の島”、能登半島最北部の“禄剛崎”なども有名。
青島駅の次の折生迫(おりゅうざこ)駅から隣の内海(うちうみ)駅の間(堀切峠)は“鬼の洗濯板”がよく見える場所なのだが、日南線は海岸線から外れ山間やトンネルに入るため、全く見られない。内海駅を出て、トンネルを抜けるとこのような海岸線に出る。
干潮時にははっきりと“鬼の洗濯板”を見ることが出来るが、この日のこのタイミングではこんな感じ。
波の様子から手前に浅い海食台があることは想像できる。そして、その波の上では、
サーファーが波待ち。宮崎は年間通してサーフィン可能な日本屈指のサーフエリアで、この辺りは超大物サーファーのトム・カレンに因んで“カレンズポイント”と呼ばれている。
<つづく>