法的根拠の拡大解釈

 2023年3月8日、福岡地裁は、福岡市側の主張を認め、名簿提供は違法ではないとして請求を棄却した。原告側は福岡高裁に控訴したが、同年10月4日、同じくを棄却されたため、最高裁に上告した。

 荒木さんは、「名簿提供が法定受託事務でないことは、防衛省と総務省の通知(前出)に、『本通知』は、地方自治法に基づく『技術的助言』とあることからも明らかです。法定受託事務であるのなら、そう明記するはずです。地方自治法は、自治体が国の『助言』に従わなくても、国は自治体に対し『不利益な取り扱いをしてはならない』と定めています。従わなければならない義務ではないのです」と語る。

 実際、辻元清美参議院議員(立憲民主党)の質問主意書への岸田内閣の答弁書(23年12月1日)は、名簿提供を自治体に強制するものではない」と認め、自治体が「助言」に従わなくても、「不利益な取り扱い」はしないと明言している。答弁書は、「住民基本台帳に記載された個人情報」である名簿の提供を自治体ができる法的根拠は、「自衛隊法第97条第1項及び同法施行令第120条の規定であり、住民基本台帳法の規定ではない」と述べている。

 つまり、自治体が管理する住民の個人情報の取り扱いは本来、住民基本台帳に基づかなければならないのだが、同法上には自衛隊への名簿提供の法的根拠がないので、自衛隊法と同法施行令を拡大解釈して「法的根拠」をつくりだしたものといえる。前出の防衛省と総務省の通知で「住民基本台帳法上、特段の問題を生ずるものではない」と曖昧に、適法性を装っているのもそのためだ。地方自治と個人情報・プライバシー権の保護よりも、自衛隊の「人的基盤の強化」を重視する、まさに軍事優先の発想によるものだ。福岡市歳・高裁の判決は、この「法的根拠」の拡大解釈を見落とし、結果的に政府の自衛隊員募集強化という国策を追認している。

 行政法が専門の前田定孝三重大学準教授(60)は、「確かに住民基本台帳法上、名簿提供の法的根拠はありません。住民基本台帳の管理は、法的受益事務ではなく、市区町村が実施主体の自治事務です。自治体は住民基本台帳の管理事務と自衛隊員募集事務を混同してはなりません。ところが、本来住民基本台帳法の規定を離れて、防衛省と総務省の通知に追随する自治体が多く見られます。これでは法令解釈権が国の行政機関に一元化してしまいます。法治主義と地方分権改革の趣旨にも反します」と指摘する。

 福岡市にも見解を聞いたところ、「自衛官等募集は、地方公共団体の法的受託事務で、自衛隊法施行令で『防衛大臣は、必要な報告又は資料の提出を求めることができる』と規定されており、自衛隊の依頼を受け、募集対象者情報を提供しています。裁判では一審、二審ともに本市の主張が認められており、今後とも個人情報の適正な取り扱いに努めます」との回答が届いた。

徴兵制の土台となり得る仕組み

 名簿を利用した自衛隊員募集のダイレクトメールは、実際どの程度効果をあげているのだろうか。NGO「日本平和委員会」の機関紙『平和新聞』編集長で、名簿提供問題に詳しい有田崇浩さん(30)が、情報公開法による開示請求で得た防衛省陸上幕僚長監部の内部資料「募集広報媒体認知度等調査報告書」(2014年度)によると、自衛隊地方協力本部のダイレクトメールを指す「地本の郵便物」はわずか1.4%しかない。効果があるとは到底言えない数字だ。

 「防衛省・自衛隊は当然、こうした傾向を把握した上で、名簿提供を求め続けているとみられます。実際に効果があるかどうかより、自衛隊の人的基盤強化のために、自治体に下請け的な業務を担わせる仕組みを整えてゆくこと自体に狙いがあるのでしょう」と有田さんは推し量り、自治体が住民基本台帳から自衛隊員募集の適齢者の個人情報を抜き出し、名簿化して自衛隊に提供する一連の事務が、戦前・戦中の徴兵制と似ていることに注意を促す。

 かつて徴兵制のもと全国の市町村には、兵事係と言う部署があり、毎年の徴兵検査に向けて、20歳になる成年男子の氏名等を戸籍から抜き出し、「壮丁連名簿」という徴兵適齢者の名簿として軍に提供していた。地方行政機関が、まさに国家の下請けとなり、戦争体制を支える精密な仕組みが整っていたのだ。

 「今後も自衛隊の募集対象者の人口は減少するでしょう。自治体による自衛隊への名簿提供は、戦時に若者を動員する体制や、徴兵制の土台(ベース)にもなり得る仕組みといえるので、警戒すべきです」と有田さんは語る。

 自治体職員が住民基本台帳から若者名簿を作成し、自衛隊に提供している事実に、かつての平兵事過係の歴史が重なってくる。

 自衛隊は自衛隊員募集・勧誘において経済的メリットを強調する。経済格差が拡大する日本社会で応募者を増やすには、低所得者層の若者をターゲットにするのが有効との考えがあるのではないか。いわゆる「経済的徴兵制」の浸透を視野に入れた対策である。

地方自治の危機と戦争準備

 これまで政府は、「徴兵制は憲法第18条が禁じる「意に反する苦役」にあたり、その導入はあり得ない」旨の国会答弁をしてきた。しかし、自民党の改憲案のように、憲法9条への自衛隊明記、あるいは、自衛隊の国防軍化がなされた場合、自衛隊は軍事的公共性を持つ組織として位置づけられ、国防のための徴兵制は苦役ではないとして、導入も可能と政府は解釈変更するかもしれない。そのとき自治体は国家の動員体制の下請けの役割を担わされ、兵事係にあたる部署も復活するだろう。

 「名簿提供も含めた自衛隊員の募集業務を防災関係部門で担う自治体も増えつつあり、人的基盤の強化に向けた防衛省・自衛隊の自治体への浸透作戦が進んでいます」と、有田さんは警鐘を鳴らす。

 岸田政権は「安保三文書」に基づき、自治体管理の空港・港湾の自衛隊や米軍による軍事利用も進めようとしている。自治体を戦争体制に組み込むとする動きの一環だ。
戦前・戦中、大日本帝国憲法下では、地方自治は存在せず、県や府や市町村などはすべて国家の地方組織で、市町村は内務省から派遣された府県の知事の監督下にあった(長谷川正安『日本の憲法第三版」岩波新書)。だが戦後は、日本国憲法で地方自治が保障された。地方行政機関が国家の下で、戦争体制の手足となったことを繰り返さぬように、という歴史の教訓が込められている。兵事係の再来を許してはならないということだ。

 福岡の住民訴訟の原告で訴訟団事務局の脇義重さん(78)は、「自衛隊会の名簿提供問題には、プライバシー権が犯される人権侵害、自治体が国の下請け機関にされてゆく地方自治の危機、国の動員体制・戦争への準備といういわば三位一体の問題が凝縮されています。憲法が保障する個人の尊重、地方自治、市民の平和的生存権が脅かされているのです。その危機感から、私たちはこうした動きに抗うため、名簿提供に反対の声をあげています。憲法の地方自治の規定のもと、国と自治体は対等なのです。自治体は国の戦争準備に手を下してはいけません」と訴える。

 多くの自治体が自衛隊に若者名簿を提供するなか、例えば、福岡市の小郡市は、2016年度に同市個人情報保護審議会が、自衛隊法施行令第120条にある「資料」に「個人情報が含まれると解釈するのは困難」なので、「適齢者情報を提供すること」は認められないと答申したため、名簿提供を止めて閲覧に切り替えた。政府の軍事優先による「法的根拠」の拡大解釈に追随せず、地方自治の主体性を保とうとする自治体も存在する。今年2月26日には、福岡の上に次いで、神戸市に住む50代〜70代の男女6人が、市から自衛隊への名簿提供は、プライバシー権を保障する憲法第13条や市の個人情報保護条例などに違反するとして、市長の責任を問う住民訴訟を神戸地裁に提訴した。奈良市でも3月末に、市から自衛隊への名簿提供でダイレクトメール送られた18歳の若者が原告となり、本人による同意のない名簿提供は、個人情報保護法と住民基本台帳法に違反するとして、市と国に損害賠償を求める訴訟を奈良地裁に起こす。個人の尊重よりも、軍事に重きを置く国策への異議申し立てが続いている。