パレスチナのハマスについて日本のメディアやそのメディアに登場するコメンテーターの方は「テロ組織」だと言っていますが本当にそうでしょうか。元CIAのラリー・ジョンソン氏がイスラエル政府が公開しているデータに基づいてイスラエル国内ガザ、ヨルダン川西岸で起きた暴力事件の件数とそれらの暴力事件が誰によって行われたか という興味深いデータをご紹介されていますので本日はラリー・ジョンソン氏のブログから記事をご紹介します。

パレスチナ人によるイスラエル人と外国人への攻撃に関するイスラエル統計の最新情報

2000年9月から2024年4月26日までの間にパレスチナ人によるものとされる「テロ」攻撃の総数は、私が当初報告した594件ではなく、現在618件となっている。大きな変化ではないが、私の目標はイスラエル外務省がサイトに掲載した生のデータの正確な報告を確実にすることである。以下は、年ごとの攻撃件数を更新したグラフである。

ご覧のとおり当初の結論は維持されています。つまり暴力のほとんどは第二次インティファーダとして知られる 5 年間に発生しました。言い換えれば、ほぼ 24 年間にわたって報告された暴力の66% がその 5 年間に発生したということです。更新されたデータではハマスが関与した攻撃の割合が私が最初にデータで報告した攻撃の割合よりも低いことも示されています。ハマスは単独で行動したか他のグループと共謀したかにかかわらず攻撃の15%にしか関与していません。これはハマスが他の「暴力」行為 (イスラエル外務省が表現) に関与していないという意味ではありませんが、618 件の攻撃のうちハマスによる攻撃は 94 件しかありません。

 

データ セットに追加された最も重要な情報はさまざまな攻撃の発生場所の内訳です。次の点をご覧ください。

「テロ」攻撃の場所攻撃の73%はガザ地区またはヨルダン川西岸地区で発生しイスラエル本土で発生したのはわずか27%だった。これはイスラエルの民間人がほぼ四半世紀にわたって怒れるパレスチナ人による容赦ないテロ攻撃にさらされていたという考えを払拭するものだ。むしろパレスチナ人は自分たちの土地を奪おうとしている部外者とみなす者を攻撃しているという主張を強めるものだ。これはアルカイダが人々に火をつけたり、首をはねたりしているのではない。パレスチナ人は自分たちの土地とみなす土地を支配するために戦っているのだパレスチナ人によるものとされる暴力はISISやアルカイダなどの過激なイスラムテロ組織よりも伝統的な民族解放運動と共通点が多い。少しでも知的誠実さがあれば過去24年間、特に10月7日とそれに続くイスラエルの反撃以降イスラエル軍と入植者の両方によって殺されたパレスチナ人の数を数えその数字をパレスチナ人によって殺されたイスラエル人のわずかな数と比較するとテロリストのレッテルに値するのはパレスチナ人ではなくイスラエル人であることがわかる。

2000年9月から2024年(4月)までに死亡したイスラエル人と外国人の数は1,555人で特に過去6か月間の4万人を超えるパレスチナ人の死者と比べれば、大したことはない。このデータはパレスチナ人に自国の確固とした独立した統治権を与える和平案はテロの拡大ではなく減少につながる可能性が高いという主張を裏付けるものだと思う。ジョー・バイデンが今日、新たな和平案を発表しハマスに受け入れるよう圧力をかけていることは知っている。しかしネタニヤフ政権のベン・グヴィルとスモトリッチの要素が同意するとは思えない。同意するとすればイスラエルはそれを拒否し戦争は続くことになるだろう。(注:ベン・グヴィルとスモトリッチは連立を組む極右政党からの閣僚です。)ところで私はドナルド・トランプの見せかけの裁判についてコメントしているわけではありません。それは第三世界の独裁者にもふさわしいサーカスです。米国の司法制度が公正で非難の余地がないと今でも信じている人は私の意見では完全なバカです。この「有罪判決」は覆されトランプが当選する可能性が高いです。しかしそれは米国の対イスラエル政策に大きな変化があることを意味するものではありません。トランプはイスラエルの狂信者を落ち着かせるよりもむしろ彼らを助長する可能性が高いです。ラリー・ジョンソン氏が指摘されているようにパレスチナ人によるイスラエル人への暴力の66%は2000年9月28日 – 2005年2月8日の「第二次インティファーダ」と呼ばれるパレスチナ人の蜂起中に起きたもので、しかも攻撃の73%はガザ地区またはヨルダン川西岸地区で発生していてこれは自分たちが住んでいる土地を武力で奪おうとするシオニストの犯罪に対して抵抗していると考えられるものなのです。今まで過去80年間にもわたってユダヤ人入植者によって殺されたパレスチナ人の数に比べればパレスチナ人によって殺されたユダヤ人の数はユダヤ人がパレスチナ人に対して行った暴力、殺戮に対しての仕返しやレジスタンス運動としてはまったく不釣り合いともいえるくらいに小さいものでその中でもハマスによる暴力の件数は94件しかないということですからハマスは「テロ組織」とは言い難いのではないでしょうか。また先住民がパレスチナ人であってユダヤ人は後からやってきた「入植者」だということを考えれば、余計にシオニスト・ユダヤ人がパレスチナでやっていることは「原住民の絶滅」政策です。ユダヤ人が言うそこが「旧約聖書によってユダヤ人に約束された土地」だと言うのは本当かどうかも分からない神話にすぎませんのでそのような神話に基づいてそこに1000年以上住んでいるアラブ人のパレスチナ人に対して「先住権」を主張するのは 非常におかしな話です。本当にテロ組織と言ってよいのはシオニストたちが作った武装組織の「イルグン」や「リーハイ」と呼ばれていた組織で今は解散はしているものの、彼らがどんな犯罪、殺人テロ攻撃をやってきたかwikipediaに記載があるものだけでも列挙すると下のように酷いものがあります。

●イルグン

パレスチナのアラブ人や、不法占拠者とみなされた英国当局に対してテロ行為を行った組織でイルグンの政策は当時はゼエヴ・ジャボチンスキーが創設した修正主義シオニズムと呼ばれていたものに基づいていた。※注:現在のイスラエル首相ベンジャミン・ネタニヤフ氏の父、ベンツィオン・ネタニヤフ(改名する前の名前はベンツィオン・ミレイコウスキーでポーランド出身)で「修正シオニズム」を提唱したジャボチンスキーの秘書の助手を務めていました。ゼエヴ・ジャボチンスキーはウクライナのオデッサ出身のユダヤ人です。


「イルグン」が行ったテロ事件: 1946年7月22日にエルサレムのキング・デイビッド・ホテル爆破。アラブ人、英国人、ユダヤ人を含む様々な国籍の91人が死亡し46人が負傷した。


1948年4月9日: デイル・ヤ​​シーン虐殺
後述の武装組織「リーハイ」と共同で実行され女性と子供を含む少なくとも107人のパレスチナ・アラブ人村民を殺害した。イルグンは国連、英国米国政府、ニューヨークタイムズ紙などのメディア、だけでなく英米調査委員会、1946年シオニスト会議、ユダヤ人機関によってテロ組織と表現されていた。イスラエル国家が樹立された後、イルグンは新しく創設されたイスラエル国防軍に吸収され始めた。イルグンとイスラエル国防軍の紛争は1948年のアルタレナ事件へとエスカレートしイルグンは1949年1月12日に正式に解散した
イルグンはイスラエルの右派ヘルート(または「自由」)党の政治的前身であり今日のリクード党につながった。リクードは1977年以来ほとんどのイスラエル政府を率い、またはその一員となってきた。なお1977年から1983年までイスラエルの首相を務めたメナヘム・ベギン(ベラルーシが出自のアシュケナージユダヤ人)はこの暴力テロ組織イルグンの出身です。

●リーハイ

「リーハイ」は前述の「イルグン」から分派した軍事組織で1940年8月に設立。設立者アブラハム・スターンの名前を取って「スターン・ギャング」とも言われていた。その公然の目的は暴力を用いてイギリス当局をパレスチナから追い出しユダヤ人の無制限の移住とユダヤ人国家の形成を許可することだった。このグループはメンバーをテロリストと呼びテロ行為を行ったことを認めた。1940年リーハイは第二次世界大戦中もイギリスと戦い続けるため、イルグン武装集団から分裂し当初はファシスト政権下のイタリアおよびナチスドイツとの同盟を模索した。ナチスドイツはイギリスよりもユダヤ人の敵ではないと考えリーハイはナチスとの同盟を2度試み「ナショナリズムと全体主義の原則に基づき「同盟によってドイツ帝国と結ばれた」ユダヤ人国家を提唱した。リーハイの設立者であるアブラハム・スターンが死亡した後新指導部はヨシフ・スターリンのソ連と、右派と左派の融合とみなされていた国家ボルシェヴィズムの思想を支持する方向に動き自らの団体を「革命的社会主義者」だと称した

 1948年4月9日 デイル・ヤ​​シーン虐殺
前述の武装組織「イルグン」と共同で実行され、女性と子供を含む少なくとも107人のパレスチナ・アラブ人村民を殺害した。1948年5月29日イスラエル政府はリーハイの活動家メンバーをイスラエル国防軍に編入し正式にリーハイを解散させたがそのメンバーの一部は数ヵ月後にスウェーデンの外交官暗殺というもう一つのテロ行為を実行した。

1948年9月17日スウェーデンの外交官フォルケ・ベルナドッテの暗殺

1948年5月20日、フォルケ・ベルナドッテは、1948年5月14日の国連決議186号に基づき「パレスチナにおける国連調停人」に任命されていた。ベルナドッテは第二次大戦中はナチスドイツのテレージエンシュタット強制収容所に収監されていた約450人のデンマーク系ユダヤ人と多くの国からの30,550人の非ユダヤ人囚人の解放交渉にあたり多くのユダヤ人の命を助けた恩人であるはずだが国連決議に基づくパレスチナとの調停を行おうとしていたことが軍事組織の怒りを引き起こして暗殺につながった。なおこのユダヤ人にとって恩人であるはずのスウェーデンの外交官暗殺を指揮した人物に初代イスラエル首相となったダヴィド・ベン=グリオン、そして後にイスラエル首相になるイツハク・シャミルの名前が挙がっているなんと米英も「テロ組織」だと公認していた組織の元メンバーやそのテロ事件に関与した者が 少なくとも3人(イルグンからメナヘム・ベギン、リーハイから初代首相のダヴィド・ベン=グリオン、イツハク・シャミル)が後にイスラエルの首相にまでなっている ということです。そして現在ネタニヤフ氏が党首を務める「リクード」党の前身は まさにテロ組織の「イルグン」です。このような過去の歴史を調べれば「ハマス」のことを「テロ組織」だと呼ぶ資格は少なくともイスラエル政府には無いと私は言いたいです。しかも「ハマス」はイスラエルが作ったものでもあるのでもしもハマスが「テロ組織」であるならばその「テロ組織の親玉」がイスラエル政府 ということになります。

パレスチナには1917年11月2日に「バルフォア宣言」が出される前から元々少数のセム系ユダヤ人とアラブ人が問題なく共存して住んでいました1917年11月2日の「バルフォア宣言」以降主に東欧やソ連地域からアシュケナージユダヤ人がパレスチナにやってきてそれ以降暴力的な移住が始まりました。そしてイスラエルの歴代首相のほぼ全員は東欧や旧ソ連がルーツのアシュケナージユダヤ人です。(もともとパレスチナにいたセム系ユダヤ人ではない)そして東欧から移住したアシュケナージ・ユダヤ人の人は元々は「~スキー」とか「~マン」「~ヴィッツ」のような典型的な東欧ユダヤ人の名前だったのを移民後に改名してヘブライ語っぽい名前や中東っぽい名前へと変えているのです。例えば

●ベンジャミン・ネタニヤフの父ベンツィオン・ネタニヤフ(Benzion Netanyahu)の旧姓はミレイコフスキーMileikowsky ポーランドのワルシャワ出身●アリエル・シャロンの改名前の名前はアリエル・シャイネルマンAriel Scheinerman(旧ソ連のグルジア出身)●シモン・ペレスの改名前の名前は シモン・ペレスキ(Szymon Perski) ポーランド出身●イツハク・シャミルの改名前の名前がイツハク・イェゼルニツキー(Yitzhak Yezernitsky)ポーランド出身●イーガル・アロンの改名前の名前がイガル・ペイコヴィッツ(Yigal Peikowitz)ベラルーシ出身などです。改名をしたかどうかが不明な方もおられますが歴代のイスラエル首相は 全員の出自が東欧であってセム系ではないアシュケナージ・ユダヤ人となっています。本来パレスチナの地に何の縁もゆかりもなかった移民の東欧ユダヤ人がイスラエル政府を形成してきてパレスチナの地に1000年以上住んでいるアラブ人(パレスチナ人)に対して殺戮を80年以上繰り返してきたのです。アシュケナージ・ユダヤ人のシオニストたちが行ってきた暴力・殺戮・テロを考えれば何十年にもわたり家や土地、家族、親戚を失ってきたパレスチナ人の中から「ハマス」が武器を持って立ち上がって現在イスラエルに対して見せている抵抗というのは、はるかに規模の小さいものだと言うことができます。