社会が閉塞感を増していくに従い、一部の市民はヒーロー願望のもとに、一部の政治家や政治団体に救済を求めようとします。

歴史上限りなく繰り返してきた失敗であり、誰かに頼っても社会が変わったためしはありません。

 

結局そういう人々は、自分たちに都合がいい王様が出てきてくれるとでも妄想しているのと同じです。

 

とはいえ、我々は嫌でも政治から逃げることはできないのです。

 

日本を滅ぼす元凶の一つは政治であり、その政治と外国勢力、多国籍企業、メディアが結託して、一部の特権者たちが得をするシステムを作っています。

 

容易ではありませんが、システムの根を断ちまったく新しいシステムを立ち上げない限り、つぎはぎするだけで何も変わることはありません。

 

55年体制から自民党時代は永劫変わらず、自民党や公明党が保守であり日本のための政党だと勘違いしている人はいまだ多いです。

 

実際に彼らがなしたことを見ていくと、自虐史観、殺人医学の普及、国家財政の破綻、TPPへの参加、原発戦略、国籍法変更、中国人や韓国人への留学資金無償の法律作成、出生率の低下など、挙げればきりがありません。

 

さらに昨今の話題で言えば、貧富の格差の巨大化、憲法改正の是非、国家予算の破綻推測、沖縄や尖閣、竹島および北方領土などの外交問題、日米同盟の是非、超高齢化社会、食品安全問題、教育の崩壊、増税の矛盾、年金の破綻、外国人参政権問題など次から次へと出てきます。

 

このような問題を羅列したとき、人間という種族は一つずつ解決していくしかないと考えることでしょう。

 

根本療法の考え方からすれば、その考え方、一見良いようにみえる発想こそが病気の永続化を招くことに気付いていないのです。

 

といっても欲ばかりの生物なのですから、根本に目を向けることはできないので日本が無くなることは既定路線というだけです。

 

つまるところ政治というのは西洋医学と同じ役割しか果たせません。

無駄な存在ではありませんが、対症療法としてしか役に立たない代物で、しかし人々が最も依存したいものでもあります。

 

そういう観点を政治に持つことができれば、部分的にうまく活用することができるかもしれない、というくらいです。

 

私は市民がつくる政治の会および、市民をつなぐ党という政治団体を運営させていただいていますが、これをやっていると日本人全員が政治に無関心無頓着であること、口だけ威勢はいいが行動が伴わない人ばかりであること、人間に良い政治など行うのは到底無理であることを学びました。

 

すでに歴史が証明していることではありますが、あらためて経験的に実感するとより虚無主義に浸っていくものです。

 

しかしそれでもやることの意味は、無駄であったとしてもその動きがコミュニティやマイノリティ脱却にむけて、少しは役に立つのかという淡い期待にすぎません。

それさえも私の言うお花畑だと言われたらその通りだと思っていますが(笑)。

 

<2025年日本滅亡説より抜粋>