京都駅の被差別部落・崇仁地区と松浦グループは深い繋がりがありました。

 

京都市の最大の被差別部落と言われているのがJR京都駅の東側にある崇仁地区です。

 

崇仁地区は全国でも最大規模の被差別部落と言われています。

 

崇仁地区、東九条には明治から戦後にかけてコリアンの人たちが8万人以上住んでいました。

 

戦後、それらのコリアンの人たちは朝鮮に帰ることなく崇仁地区、東九条に住み続けました。

 

戦後の混乱などもあり崇仁地区、東九条にはたくさんのバラックが建てられました。

 

その後、それらの貧しいコリアンの人たちを支援する法律ができて、崇仁地区にはバラックに住んでいる人たちが転居できる綺麗な市営住宅がたくさん建てられました。

 

崇仁地区に住んでいる人たちはそれらの市営住宅に格安で入居することができました。

 

現在の崇仁地区は綺麗な解放住宅が立ち並び、すでに貧困の問題は解消されていることがわかります。

 

しかし長年に渡り、崇仁地区は開発されることはなく、曰くつきの場所となっていました。

 

なぜかというと、被差別部落の問題=貧困問題なので、そこに貧困はもうないよねとなると、利権がなくなってしまうということがありました。

 

そのため、バラックの地主の人たちは金持ちでも、バラックを残し続けるということをしていました。

 

これは韓国の高級住宅地カンナムの隣の九龍村でも同じことが起きていました。

 

九龍村も韓国のスラム、被差別部落のように言われていますが、九龍村の地主の人たちは実は金持ちであることが明らかになっています。

 

崇仁地区を統括している崇仁協議会と松浦グループは深い関係がありました。

 

松浦グループは崇仁協議会、オフショアファンド、タックスヘイブン、クレディスイスと連携して高度な金融スキームを組んでいました。

 

全国の被差別部落、同和のドンと呼ばれているのが朝堂院さんです。

 

崇仁地区周辺の再開発の新築分譲マンションは松浦グループのラアトレが手掛けていました。

 

ラアトレの大株主が松浦グループの矢吹満さん(玄満植さん)ラアトレアジア社の社長には松浦大助さんとカジノ利権で組んでいた紺野昌彦さんがついていました。

 

 

矢吹満さん(玄満植さん)のお父さんとお兄さんが朝鮮総連の幹部でした。

 

崇仁地区の3300坪の土地を所有していたのは朝鮮総連系の企業でした。

 

崇仁地区の再開発では山口組山健組組員、会津小鉄会組員、崇仁協議会幹部の井尻修平さんなど6人以上が射殺されました。