三菱グループは創業時から子供の人身売買、イルミナティとの密接な繋がりがありました。三菱創業者の岩崎弥太郎が力を持った背景には土佐藩、明治新政府、ウォルシュ兄弟、グラバー、クニフラー商会(現在のイリス)、ジャーディンマセソン商会との癒着がありました。
明治新政府の背後にはロスチャイルド家など欧米貴族、イルミナティがいますから、三菱は創業時からイルミナティと癒着していたことになります。
岩崎弥太郎の右腕でキリンビールの前身のジャパン・ブルワリーの創設者であるグラバーのグラバー商会の上部組織はジャーディンマセソン商会でした。
三菱財閥の源流と言われているのが日本郵船でした。郵便汽船三菱会社と渋沢栄一、三井財閥の益田孝、大倉財閥の大倉喜八郎の共同運輸と合併して日本郵船が出来ました。
日本郵船は明治天皇、大正天皇、昭和天皇のもと未成年の少女を50万人以上海外に人身売買していました。未成年の少女の人身売買を日本郵船、三菱、天皇に助言したのがイルミナティのエージェントの福沢諭吉でした。これらは「からゆきさん」の悲劇として日本のみならず世界中で語り継がれています。
福沢諭吉の慶應義塾と三菱、岩崎弥太郎は親密な関係で福沢諭吉の門下生を何人も三菱に送り込んでいました。福沢諭吉と岩崎弥太郎は両者ともイルミナティのエージェントという繋がりがありました
戦後は児童養護施設の子供たちを海外に売り飛ばすという人身売買を三菱はイルミナティ、CIAと共に始めました。岩崎弥太郎の孫の沢田美喜は岩崎家大磯別邸でイルミナティ傘下のイギリス国教会と組んでエリザベスサンダースホームという巨大な児童養護施設を始めます。
エリザベス・サンダースホームには3000人以上の子供がいたと伝えられています。ほとんどはアメリカ兵によって日本女性がレイプされて生まれてきた子供たちでした。
エリザベス・サンダースホームの責任者は沢田美喜の私設秘書で上海帰りの殺し屋と言われた真木一英でした。真木一英は三菱グループの郵船ビルを拠点にしている人物で、アメリカCIAのエージェントであったという証言がありました。
真木一英は下山事件の主犯格として逮捕されましたが、GHQの諜報部CICが警視庁に圧力をかけて釈放させていました。真木一英は731部隊の残党のまとめ役もしていました。エリザベス・サンダースホームから子供たちが海外に売り飛ばされていた実態がありました。
現在は福沢諭吉の慶應義塾大学出身でCIA・イルミナティのエージェントの駒崎弘樹を中心として政府ぐるみで日本の子供の人身売買が行われています。明治天皇、大正天皇、昭和天皇、福沢諭吉、三菱財閥、三井財閥、日本郵船など天皇財閥により50万人以上の日本の少女が海外に「からゆきさん」として人身売買されていました。
シンガポール、中国、香港、満州、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなど東南アジアを中心としてロシア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカなど世界各地に少女が売り飛ばされていきました。世界各地で「からゆきさん」の悲劇が語り継がれています。
明治天皇に福沢諭吉が日本の少女を海外に売り飛ばして儲けようと提言をしました。そして明治天皇や福沢諭吉、三菱財閥、三井財閥、日本郵船などが皇室、政府ぐるみで日本の少女の人身売買を行っていたのです。その数は50万人以上にも及びました。
少女たちは売り飛ばされた船の中で集団で強姦される、クスリ漬けにされるなどして性病も患いほとんどの少女は未成年のまま亡くなっています。長崎県の島原や熊本県の天草の少女が多く集められたと言われています。
長崎県は戦国時代に大村純忠が領地をイエズス会に寄進していた歴史もあるように、戦国時代から多くの少女が海外に人身売買され続けてきました。天草もキリスト教徒による島原、天草の乱があったようにイエズス会の傘下の土地となっていました。
九州から少女が多く集められた背景には九州が戦国時代にイエズス会の支配下となっていたことも関係していました。
(参考・毎日新聞・「思想家の福沢諭吉も1896年自身の新聞の社説で「海外の移植地に娼婦の必要なるは明白にしてむしろ公然許可するこそ得策なれ」と主張している。」)