報道の支配: CFRの最初の仕事は報道機関を支配することだった。この仕事はジョン・D・ロックフェラーに与えられ彼は『ライフ』や『タイム』といった全国的なニュース雑誌を数多く創刊した。彼はサミュエル・ニューハウスに資金を提供し全米に新聞チェーンを設立させユージン・メイヤーもまたワシントン・ポスト、ニューズウィーク、ウィークリー・マガジンなど多くの出版物を買収した。CFRはまたラジオ、テレビ、映画産業も支配する必要があったこの仕事はクーン・ローブ、ゴールドマン・サックス、ウォーバーグ家、リーマン家の国際銀行家に分担された。1925: この年の『ユダヤ百科事典』には、アシュケナージ・ユダヤ人(いわゆる世界ユダヤ人の約90%を占める)の存在が記載され第五巻の42ページにはユダヤ人の敵と呼ばれるエサウ(エドムとも呼ばれる創世記36章1節を参照)が現在では実際にユダヤ民族を代表しているという驚くべき告白が記載されているエドムは現代のユダヤ人の中にいる。つまりいわゆるユダヤ人人口の90%を占めるアシュケナージ・ユダヤ人は実は異邦人あるいはゴイムそのものなのだ。1926:N.M.ロスチャイルド&サンズがロンドンの地下鉄交通システム全体の支配権を持つロンドン地下鉄電気鉄道会社に資金を借り換える。モーリス・ド・ロスチャイルドに息子のエドモンド・ド・ロスチャイルドが生まれる。

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1929 年の金融危機

1929: ロスチャイルド家がマネーサプライを縮小させアメリカ経済を破綻させる。1930: ロスチャイルド初の世界銀行「国際決済銀行(BIS)」がスイスのバーゼルに設立される。 33年前史上初の世界シオニスト会議が開催されたのと同じ場所である。1933:1月30日アドルフ・ヒトラーがドイツ首相に就任。彼はユダヤ人(その多くは共産主義者)をドイツ国内の政府要職から追い出す。その結果7月にユダヤ人はアムステルダムで世界会議を開きヒトラーにすべてのユダヤ人を元の地位に復帰させるよう要求する。ヒトラーはこれを拒否しその結果ウィルソン大統領を脅迫したアシュケナージ・ユダヤ人であり現在アメリカ代表団の団長と会議全体の議長であるサミュエル・ウンターマイヤーがアメリカに戻りラジオで演説を行いそれが1933年8月7日(月)の『ニューヨーク・タイムズ』紙に書き起こされた。演説の中で彼は次のように述べた「ユダヤ人は世界の貴族である、われわれのキャンペーンは、すべてのドイツ製品、海運、サービスに対する経済ボイコットである。われわれが提案しているのはヒトラー政権を弱体化させドイツ国民の存在そのものがかかっている輸出貿易を破壊することによってドイツ国民に正気を取り戻させる純粋に防衛的な経済ボイコットの実施である。ユダヤ人も異邦人もドイツ製商品を売る商人や店主、ドイツ船や海運を贔屓にする商人や店主との取引を拒否しなければならない。」もしドイツが輸出できなくなればドイツの人口の3分の2が餓死することになる。このボイコットの結果アメリカ中のユダヤ人たちは「ドイツ製」と印刷された製品を見つけた店の外で抗議し損害を与えた。このボイコットの影響がドイツにも及び始めるとそれまでユダヤ人に暴力を振るわなかったドイツ人もユダヤ人がアメリカでドイツ製品を売る店に対して行ったのと同じようにユダヤ人の店に対してもボイコットを始めた。ロスチャイルドはIBMに資金を提供しパンチカードを製造する機械をナチスに供給してユダヤ人の最初の識別と社会的追放財産の没収と絶滅を組織的に管理するのに役立てた。11月16日ルーズベルト大統領が議会に諮ることなくロシアのスターリンによるシオニスト政権を承認。またこの年ルーズベルト大統領はユダヤ人の母から生まれアシュケナージのユダヤ人としてのルールを満たしていることから「Novus Ordo Seclorum(ノヴス・オルド・セクロラム)」という標語とともにすべてを見通す目をすべての新しいドル紙幣に入れるよう命じた。これはラテン語で 「時代の新しい秩序」を意味する。1934:スイスの銀行機密法が改正され銀行員が銀行機密を侵すと投獄される犯罪となる。これはロスチャイルドが仕組んだ第二次世界大戦の準備でありいつものようにロスチャイルドが両陣営に資金を提供する。エドモンド・ド・ロスチャイルド死去。1936: ドイツにおける反ユダヤ主義の増加に関してサミュエル・ランドマン(当時、世界シオニスト組織の秘書)は1936年の著書『イギリス、ユダヤ人、パレスチナ』の中で第一次世界大戦へのアメリカの参戦について次のように述べている「アメリカを連合国側に引き入れたのがユダヤ人の援助であったという事実は、それ以来ドイツ人、特にナチスの心に強い衝撃を与え、ナチスの綱領の中で反ユダヤ主義が重要な位置を占めることに少なからず寄与している。」1938:11月7日ユダヤ人のハーシェル・グリンスパンがパリのドイツ大使館の小官エルンスト・フォム・ラートを暗殺した。この結果ドイツ国内のユダヤ人に対する敵意は暴力的になり始めた。ナチスによるオーストリア占領後ロスチャイルド家のオーストリアの銀行家S.M.フォン・ロスチャイルド・ウント・ゾーネが閉鎖1939:I.G.ファルベンは世界有数の化学メーカーでありドイツ最大の鉄鋼メーカーでもあった。この増産はほぼ独占的に第二次世界大戦のためのドイツ武装に使われる。この会社はロスチャイルド家によって支配されユダヤ人やその他の不満分子を強制収容所の奴隷労働者として使役することになる。I.G.ファルベンはまたユダヤ人絶滅に使われた致死性のツィクロンBガスも製造した。1939年9月1日ドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まった。 ドイツの指導者たちはキリスト教徒でありソビエト・ロシアがロスチャイルドから資金提供を受けた共産主義者に率いられていることを理解していた。1940:ハンスユルゲン・コーラーは著書『Inside The Gestapo』の中で、アドルフ・ヒトラーの祖母であるマリア・アンナ・シックルグルーバーについて次のように述べている「小さな召使いの少女がウィーンに来てロスチャイルド邸の家政婦になったヒトラーの知られざる祖父はおそらくこの壮麗な邸宅で探されているに違いない。」

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このことはヴァルター・ランガーの著書『ヒトラーの心』で裏付けられている。「アドルフの父、アロイス・ヒトラーはマリア・アンナ・シックルグルーバーの隠し子である。当時彼女はロスチャイルド男爵の家で使用人として働いていた。家族に妊娠が発覚するとすぐに彼女は家に戻されそこでアロイスが生まれた。」表面的にはヒトラーがロスチャイルドである可能性は低いように見えるがロスチャイルド家がこの戦争で得た経済的政治的な利益を知ればロスチャイルドとのつながりは最初の印象ほど突飛なものではない。1941: ルーズベルト大統領は日本に鉄くずや石油を売ることを拒否しアメリカを第二次世界大戦に巻き込む。日本は中国との戦争の真っ最中で鉄くずと石油がなければ戦争を続けることができない。日本は鉄スクラップも石油も完全にアメリカに依存していた。ルーズベルトはこの行動が日本を刺激しアメリカを攻撃することを知っていた。

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1942:後のアメリカ大統領ジョージ・ハーバート・ウォーカーとジョージ・Wの父であるプレスコット・ブッシュが「敵国との取引」法により会社を差し押さえられる。彼はアメリカからヒトラーに資金を提供していたがその一方でアメリカ兵はドイツ兵に殺されていた。ユダヤ人も同じ兵士によって虐殺されている。興味深いことにADLはこの件に関してブッシュ家の誰も批判していない。1943:2月18日シオニストのイザック・グリーンバウム(ユダヤ機関救済委員会代表)はシオニスト執行評議会の演説で次のように述べた「ユダヤ人救済のためにUJA(United Jewish Appeal)から資金を提供できないかと聞かれたら、私はノーと答える」彼はさらにこう続けた「パレスチナにいる1頭の牛はポーランドにいるすべてのユダヤ人よりも価値がある」無実のユダヤ人を虐殺するシオニストの支援は生存者を脅して自分たちの安全な場所はイスラエルだけだと信じ込ませるためだったのだ。シオニストはユダヤ人が自分たちの住む美しいヨーロッパの都市を離れ砂漠に定住するように仕向けたのだ。1944: 11月6日中東駐在英国公使モイン卿がカイロで後のイスラエル首相イツハク・シャミールが率いるユダヤ人テロリスト集団シュテルン・ギャングのメンバー2人に暗殺された。モイン卿は同年英国委任統治領パレスチナ高等弁務官ハロルド・マクマイケルに対する暗殺未遂事件にも関与している。彼は第二次世界大戦中ドイツの収容所から21,000人の捕虜を釈放させたがイツァーク・シャミールと彼のテロリストの協力者たちからは反シオニストと見られていた。

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IMFと世界銀行=ロスチャイルド系民間銀行

ニューハンプシャー州ブレトンウッズでロスチャイルド系の世界銀行が2つ設立される。国際通貨基金(IMF)と世界銀行である。国税庁とFRBがIMFの私企業であることをご存知だろうか?1945:第二次世界大戦終結。I.G.ファルベンの工場はドイツ空襲では特に標的とされなかったと報告されている。興味深いことに戦争が終わった時点で工場が受けた損害はわずか15%であった。第二次世界大戦末期ナチスの戦争犯罪を調査するために開かれた法廷ではヒトラーに対する西側の援助を記録したいかなる資料も検閲された。今年「国際連合」と呼ばれる第二の「国際連盟」が承認されロスチャイルド家は世界支配という目標に向けて大きな一歩を踏み出した。1946: 7月22日後にイスラエル首相となるアシュケナージ系ユダヤ人のダヴィド・ベン・グリオンが、同じく後にイスラエル首相となるアシュケナージ系ユダヤ人のメナケム・ベギンに命じてパレスチナのキング・ダヴィッド・ホテルにテロ攻撃を行いイギリスを追い出そうとする。その結果イギリス人28人、アラブ人41人、ユダヤ人17人、その他5人の計91人が死亡。約45人が負傷した。メナケム・ベギンは自らを 「近代テロの父」と誇らしげに宣言した。キング・デイヴィッド・ホテルへの攻撃の重大性を考えてみると当時単独のテロ行為による死者数としては史上最大であり40年以上後にロッカビー上空で起きたパンナム103便爆破事件がそれを上回ったに過ぎない。1947:第二次世界大戦前にパレスチナ人を彼らやイギリス兵に対するテロ行為から守るためパレスチナへのユダヤ人の移住を禁止すると宣言したイギリスはパレスチナの統治権を国連に移譲する。国連はパレスチナをシオニストとアラブの2つの国家に分割しエルサレムはすべての宗教が享受できる国際地域として残すことを決定する。この譲渡は1948年5月15日に行われる予定だった。当時ユダヤ人がパレスチナの6%を所有していたにもかかわらず決議181号はユダヤ人に57%の土地を与え当時94%を所有していたアラブ人には43%しか与えなかったのである。ADLが米国市民のスパイ活動で収集した情報は下院反米活動特別委員会で使用される。小委員長のクレア・ホフマンは共産主義者と疑われる人物に関するADLの報告を 「伝聞」として却下した。1948:この年の春、ロスチャイルド家がハリー・S・トルーマン大統領(第33代アメリカ合衆国大統領1945年-1953年)を買収しイスラエル(ロスチャイルドが所有するシオニストユダヤ人の領土ではない)を主権国家として承認させるために200万ドルを贈与。そして彼らはイスラエルがパレスチナにおけるユダヤ人の主権国家であることを宣言しトルーマン大統領は30分以内に米国がこれを承認した最初の外国国家であることを宣言したイスラエル国旗が披露される。大反対にもかかわらず、国旗の紋章はロスチャイルドの「赤い六芒星またはサイン」の青色バージョンである。この六芒星が古代の神秘宗教で「モロク」(不本意な生贄を捧げる悪魔とされボヘミアン・グローブでエリートたちが崇拝している石のフクロウの名前でもある)「アスタロト」(地獄の会計係長とされる)のシンボルとして使われていたことを知る多くのユダヤ人を怒らせた。六芒星はまた「サタン」の秘教的名称として特定されている土星を表すためにも使われた。このことはイスラエルの名の下に殺された者は実際にはサタンの生贄であることを示している。反対派のユダヤ人たちは最も古いユダヤ教のシンボルである「メノラー」を使うべきだと考えており六芒星はユダヤ教のシンボルですらないと指摘している。4月19日未明後のイスラエル首相メナケム・ベギン率いるイルグン一味と後のイスラエル首相イツハク・シャミール率いるシュテルン一味のユダヤ人テロリスト132人が、デイル・ヤシンというアラブ人の村で平和に眠っていた200人の男女と子供たちを残忍にも虐殺した。5月15日国連がパレスチナをユダヤ人の独立国家とアラブの独立国家に移譲したことを受けイスラエル軍はアラブ人への軍事攻撃を開始しトラックにラウドスピーカーを鳴り響かせアラブ人に「すぐに逃げなければ虐殺する」と通告した。80万人のアラブ人は、デイル・ヤシンの大虐殺の記憶を胸に、パニックになって逃げ出した。彼らは近隣のアラブ諸国に助けを求めたがロシアのユダヤ人スターリン主義政権から最新の軍備を供給されていたイスラエル軍には敵わなかったためこれらの国は関与しなかった。この襲撃の後ユダヤ人は旧パレスチナの78%を支配するようになり国連によって不法に与えられた57%とは対照的になった。パレスチナ人(その多くはキリスト教徒)はこの違法なユダヤ人による襲撃の間に奪われた家屋、財産、事業に対する補償金が支払われることはなくこれらの人々はテントのあるスラム難民都市に住むことになった。さらにパレスチナ人の少なくとも半数は逃亡を急ぐあまり出生証明書を置き忘れた。イスラエル国家はその後市民権を証明できる者だけがイスラエルに戻ることを許されるという法律を制定したためこの40万人のパレスチナ人は戻ることができずそこに残してきた財産をすべて失ってしまった。アシュケナージ系ユダヤ人でイスラエル建国の父の一人初代首相のダヴィド・ベン・グリオンは自身の日記(1948年5月21日)でシオニストの目的を次のように率直に語っている「アラブ連合のアキレス腱はレバノンである。この国におけるイスラム教徒の優位は人為的なものであり簡単に覆すことができる。リタニ川を南の辺境としてキリスト教国家を建国すべきである。我々はこの国家と同盟条約を結ぶだろう。こうしてアラブ軍団の戦力を崩壊させアンマンを爆撃したらトランス・ヨルダンを一掃することができその後シリアは陥落するだろう。そしてエジプトがまだ我々に戦争を仕掛ける勇気があるならポートサイド、アレクサンドリア、カイロを爆撃するだろう。こうして戦争を終結させ我々の先祖に代わってエジプト、アッシリア、カルデアに報復するのだ。」

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毛沢東

1949: 10月1日毛沢東が北京の天安門広場で中華人民共和国の建国を宣言。毛沢東はロスチャイルドがロシアに作った共産主義から資金援助を受けており、また以下のロスチャイルドの工作員からも資金援助を受けている:ソロモン・アドラー(元アメリカ財務省高官でソ連のスパイ)イスラエル・エプスタイン(ロシアで革命を起こそうとして皇帝に投獄されたユダヤ人ボリシェヴィキの息子)フランク・コー(ロスチャイルド所有のIMFの幹部)。1950:イスラエルは帰還法を成立させ世界中のすべてのユダヤ人にイスラエルに居住する権利を保証したがパレスチナ人は1300年間そこに住んでいたにもかかわらず、その権利を否定された。ジョン・ダヴィット元司法省内部安全保障課長はイスラエルの諜報機関はソビエトに次いでアメリカで2番目に活発であり、もちろんイスラエルもソビエト連邦もアシュケナージ・ユダヤ人の指導者によって運営されていると指摘する1951:4月1日世界を恐怖に陥れるイスラエル秘密情報機関モサドが設立される。モサドのモットーはおそらく世界で最も嫌な諜報機関のモットーだろう「欺きによって汝は戦争を行う」1953:N.M.ロスチャイルド&サンズはカナダのニューファンドランドにハミルトン(後にチャーチルと改名)滝のパワーを利用する発電所を含む60,000平方マイルの土地を開発するためにブリティッシュ・ニューファンドランド・コーポレーション・リミテッドを設立した。当時これは民間企業による史上最大の建設プロジェクトだった。1954:「ラヴォン事件」 イスラエルの諜報員がユダヤ系のエジプト人を募りエジプトで欧米の標的を爆破させアラブ人に濡れ衣を着せる証拠を植え付けアメリカとエジプトの関係をひっくり返そうとしたことが明らかになる。イスラエル国防相のアシュケナージ系ユダヤ人、ピンハス・ラヴォンは最終的に罷免されるが本当の責任はダヴィド・ベン・グリオンにあると考える者も多い。イスラエル側が仕掛けた隠しマイクがテルアビブのアメリカ大使公邸で発見される。1955:エドモンド・ド・ロスチャイルドがパリにフィナンシエール社を設立。1956:テルアビブの米軍アタッシェの邸宅で2台の電話が盗聴されているのが発見される。1957:ジェームズ・ド・ロスチャイルドが死去し(ロスチャイルドが所有する)メディアによって彼がイスラエルに国会議事堂(クネセト)の建設費を遺贈したと報じられる。彼はクネセットはこうあるべきだと述べている。「イスラエル国家の永続性の象徴としてすべての人々の目に映るように 」と述べている。彼の著書『英国貴族物語』の219ページでバークのピアレージの編集者であるL.G.パインはユダヤ人についてこう述べている、「ユダヤ人はイギリスの貴族階級と非常に密接な関係にありこの2つの階級が相互以外の損失を被ることはないだろう。ユダヤ人と貴族は密接に結びついているのでこの国でユダヤ人に打撃を与えれば貴族階級も傷つくことになる。