その後重要な出来事が起こった。ドイツは戦争に勝利し一人の外国兵も自国に上陸していなかったにもかかわらずイギリスに対して賠償金を要求しない休戦を申し出たのだ。ロスチャイルド家はこの戦争で莫大な利益を上げることを期待していたためこのようなことが起こらないようにともうひとつのカードを使った。イギリスがドイツの申し出を検討している間にロスチャイルドのエージェントであるルイス・ブランデイスがアメリカからシオニストの代表団をイギリスに送りイギリスがパレスチナの土地をロスチャイルド家に与えることに同意することを条件にアメリカをイギリス側の戦争に参加させることを約束させる。ロスチャイルド家がパレスチナを欲しがった理由は次のようなものだった。彼らは極東に大きなビジネス権益を持っておりその権益を脅かすいかなる国家に対しても侵略者として利用できる独自の軍隊とともにその地域に自分たちの国家を望んでいた。どういうわけか彼らはグルジアの800マイルほど手前で祖国を逃した。その後イギリスはパレスチナの取引に同意しロンドンのシオニストたちはアメリカのシオニストたちに連絡しこの事実を伝えた突然それまで親独派だったアメリカの主要紙がこぞってドイツに反旗を翻し次のようなプロパガンダ記事を掲載した:ドイツ兵は赤十字の看護婦を殺していたドイツ兵は赤ん坊の手を切り落としていたなどといったプロパガンダ記事を掲載しアメリカ国民をドイツに敵対させようとしたのだ。これらの主張はまったく事実ではなかった。同じ年ウッドロー・ウィルソン大統領は「あなたの息子を戦争から守る男を再選 」というスローガンを掲げて再選キャンペーンを行った。12月12日ドイツとその同盟国は戦争を終結させるための講和条件を提示した。1917: ドイツの講和提案の結果ロスチャイルドの戦争マシーンがアメリカで大活躍しプロパガンダを流布。その結果アメリカのシオニスト指導者で最高裁判所判事のルイス・デンビッツ・ブランデイスの指示のもとウィルソン大統領は選挙民との約束を反故にし4月6日、アメリカを第一次世界大戦に参戦させる。ロスチャイルド系シオニストがイギリスと交わしたアメリカを戦争に参加させるという約束通り彼らはイギリスが自分たちの約束を守ることを証明する書面が欲しいと考えた。そこでイギリスの外務大臣アーサー・ジェームズ・バルフォアは一般に「バルフォア宣言」として知られる書簡を起草する:外務省1917年11月2日親愛なるロスチャイルド卿陛下の政府を代表し内閣に提出され承認されたユダヤ人シオニストの願望に対する以下の同調宣言をお伝えできることを大変嬉しく思います。陛下の政府はパレスチナにおけるユダヤ民族のための民族的故郷の樹立を好意的に受け止めておりこの目的の達成を促進するために最善の努力を払うつもりである。この宣言をシオニスト連盟に知らせていただければ幸いである。敬具アーサー・ジェームズ・バルフォアロスチャイルド家は彼らが支配するボリシェヴィキによる処刑とロシア皇帝ニコライ2世とその家族全員の殺害を命じる。

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皇帝ニコライ2世とその家族 — ロスチャイルド家によって殺害される

2.これは国の支配権を得るためであり1815年にウィーン会議でアレクサンドル1世が世界政府構想を阻止し、1864年にはアレクサンドル2世がリンカーン大統領に味方したことへの復讐でもある。1815年にネイサン・メイヤー・ロスチャイルドが約束したことを実行するために女性や子供を含む家族全員を虐殺することは彼らにとって極めて重要である。ロスチャイルド家に逆らえばどうなるかを世界に知らしめるためである。

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JPモルガン

オスカー・キャラウェイ下院議員がJ.P.モルガンがロスチャイルドの隠れ蓑でありアメリカのメディア業界を支配していると議会に報告。彼はこう述べている「1915年3月J.P.モルガン利権、鉄鋼、造船、火薬利権、およびその傘下組織は新聞界の高官12人を集め彼らを雇ってアメリカで最も影響力のある新聞と日刊紙の方針を全般的に支配するのに十分な数の新聞を選ばせた。各紙の方針は買い取られその代金は月ごとに支払われ各紙に編集者がつき購入者の利益に不可欠と考えられる準備態勢、軍国主義、金融政策、その他国家的・国際的性質の問題に関する情報を適切に監督・編集することになった。」1919: 1月アシュケナージ系ユダヤ人のカール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクがロスチャイルドが資金提供した共産主義者によるクーデターを今度はドイツのベルリンで引き起こそうとして殺される。ヴェルサイユ講和会議が開かれ第一次世界大戦終結後にドイツが戦勝国に支払うべき賠償金が決定されるアシュケナージ・ユダヤ人のバーナード・バルフを団長とする117名のシオニスト代表団が彼らのためにパレスチナの約束を持ち出した。この時点でドイツ人はアメリカがなぜ自分たちを敵視したのかそして誰の影響下にあったのかロスチャイルド家に気づいた。ドイツ人は当然シオニストに裏切られたと感じた。というのもロスチャイルド家がイギリスとパレスチナの取引をした当時アメリカを戦争に巻き込むことと引き換えにドイツはユダヤ人に対して世界で最も友好的な国だったからである。実際1822年のドイツ解放勅令はドイツ人が享受しているすべての市民権をドイツ国内のユダヤ人に保証していた。またドイツはヨーロッパで唯一ユダヤ人に制限を設けなかった国であり1905年にロシアで共産主義者による最初のクーデターが失敗し彼らがロシアから逃げ出さなければならなくなったときでさえ避難所を与えた。にもかかわらずロスチャイルド家は何百万人もの罪のない人々の血を流すという取引を実行しその結果パレスチナはユダヤ人の祖国として承認され、ロスチャイルド家への引き渡しが行われる間ロスチャイルド家がイギリスを支配するようにイギリスの支配下に置かれることになった。当時パレスチナの人口の1%未満しかユダヤ人はいなかった。 興味深いことにヴェルサイユ講和会議の主催者はそのボスであるエドモンド・ド・ロスチャイルド男爵である。3月29日ロンドンのタイムズ紙はロシアのボリシェヴィキについて報じている。「ボリシェヴィズム運動の不思議な特徴の一つは指導者の中に非ロシア人要素の割合が高いことである。ボリシェヴィズム運動の中心的な機構を提供する20人ないし30人の委員(指導者)のうち75%以上がユダヤ人であった。」ロスチャイルド家がロシア人に腹を立てたのはロシア人が自国内に中央銀行を設立することを許さなかったからだと言われている。そのため彼らはユダヤ人のスパイを集めてロシアに送り込み庶民の利益のために革命を鼓吹させた。これらのユダヤ人スパイは古くからの欺瞞的なアシュケナージの伝統により、ロシア名を付けられた。例えばトロツキーは最初のグループのメンバーで彼の元の名前はブロンシュタインだった。これらのグループは暴動や反乱を扇動するためにロシア全土の地域に送り込まれた。1991年1月24日締めの週刊誌『ジューイッシュ・ポスト』国際版はウラジーミル・レーニンがユダヤ人であったことを確認している。レーニンはまた、次のように述べたと記録されている「中央銀行の設立は、国家を共産化するための90%である。」このユダヤ人ロスチャイルドの資金を受けたボリシェヴィキは、歴史の流れの中でソ連の支配地域で6千万人のキリスト教徒と非ユダヤ人を虐殺することになる。実際作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンはその著作『収容所群島』第2巻の中でシオニストであるユダヤ人がこれらの数千万人のキリスト教徒と非ユダヤ人が死亡した組織的なソ連の強制収容所システムを作り管理していたことを断言している。この本の79ページで彼はこの世界史上最大の殺人マシンの管理者の名前さえ挙げている。アロン・ソルツ、ヤコフ・ラポポルト、ラザール・コーガン、マトヴェイ・バーマン、ゲンリク・ヤゴダ、ナフタリー・フレンケルである。6人ともシオニスト・ユダヤ人である。1970年ソルジェニーツィンはノーベル文学平和賞を受賞する。N.M.ロスチャイルド&サンズは世界の毎日の金価格を固定する永久的な役割を与えられているこれは2004年まで毎日11時にロンドンのシティ・オフィスの同じ部屋で行われた。

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1920:ウィンストン・チャーチル(母親のジェニー(ジェイコブソン)・ジェロームがユダヤ人つまりユダヤ人の母親から生まれたのでアシュケナージ法の下ではユダヤ人である)は2月8日付の『イラストレイテッド・サンデー・ヘラルド』の記事でこう書いている「イルミナティの指導者ヴァイスハウプトの時代からカール・マルクスの時代そしてトロツキーの時代へとこの世界的陰謀は着実に拡大してきた。そして今ついにこのヨーロッパとアメリカの大都市の裏社会からやってきた並外れた個性的な一団が、ロシア人民の頭髪を掴みその巨大な帝国の紛れもない支配者となった。」1921: ジェイコブ・シフの命によりアシュケナージ系ユダヤ人のバーナード・バルークとエドワード・マンデル・ハウス大佐によって外交問題評議会(CFR)が設立される。シフは1920年に亡くなる前にロスチャイルドの陰謀を実行する政治家を選ぶための組織をアメリカに設立する必要があることを知っていたため命令を下した。CFRの設立は1919年5月30日にフランス・パリのホテル・マジェスティックでの会議で実際に合意された。発足時のCFRのメンバーは米国内で約1000人だった。このメンバーにはアメリカの事実上すべての産業帝国のトップアメリカに拠点を置くすべての国際銀行家そしてすべての非課税財団のトップが含まれていた。要するに議会、上院、大統領選に立候補しようとする者に必要な資本を提供するすべての人々である。