エドモンド・ジェームス・ド・ロートシルトには息子のモーリス・ド・ロスチャイルドがいる。1883:英仏海峡トンネル計画で6,000フィートのトンネルが掘削された後イギリス政府はイギリスの安全保障を脅かすとして計画を中止。1885:ライオネル・ド・ロスチャイルドの息子ナサニエル・ロスチャイルドがユダヤ人初の貴族となりロスチャイルド卿の称号を得る。1886:フランスのロスチャイルド銀行ド・ロスチャイルド・フレールがロシアの油田を大量に取得しカスピ海・黒海石油会社を設立。1887:中国でのアヘン密売人エドワード・アルバート・サスーン、ジェイコブ・メイヤー・ロスチャイルドの孫娘アリーヌ・カロリーヌ・ド・ロスチャイルドと結婚。アリーヌ・カロリーヌの父グスタフは兄アルフォンスとともに、父ジェイコブの死後ロスチャイルドのフランス部門を引き継いだ。ロスチャイルド家は、南アフリカのキンバリー・ダイヤモンド鉱山の合併に資金を提供。その後デビアス社の筆頭株主となりアフリカとインドで宝石を採掘。1888:モーリス・ド・ロスチャイルドの妻となるノエミー・ハルフェン誕生。1891:イギリスの労働党党首がロスチャイルド家について次のように発言する「この吸血集団は今世紀のヨーロッパに計り知れない災いと不幸をもたらしたヨーロッパで問題が起こるたびに戦争の噂が流れ、人々の心が変化と災難への恐怖で取り乱すたびに、鉤鼻のロスチャイルドがその騒乱の地域のどこかでゲームに興じていることを確信できるだろう。」このようなコメントはロスチャイルド家を悩ませ1800年代末にはロイター通信社を買収しメディアをある程度コントロールできるようにした。ヨーロッパで問題が起こるたびに戦争の噂が流れ人々の心が変化と災難への恐怖で取り乱すたびに鉤鼻のロスチャイルドがその騒乱の地域のどこかでゲームをしていることは間違いない。このようなコメントはロスチャイルド家を悩ませ1800年代末にはロイター通信社を買収しメディアをある程度コントロールできるようにした。1895:ジェイコブ(ジェームズ)・メイヤー・ロスチャイルドの末息子エドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドがパレスチナを訪れそこに最初のユダヤ人植民地を設立するための資金を提供する。1897:ロスチャイルド家はシオニズム(すべてのユダヤ人をユダヤ人だけの国家に移住させることを唯一の目的とする政治運動)を推進するためにシオニスト会議を設立しミュンヘンで最初の会議を開く。しかし現在の場所に満足している地元ユダヤ人の猛反対により会議はスイスのバーゼルに移され8月29日に開催された。
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会議の議長はアシュケナージ系ユダヤ人のテオドール・ヘルツルが務め、彼は日記にこう記している「ユダヤ人の苦しみが......悪化することが不可欠である......これはわれわれの計画の実現を助けるだろう......私には素晴らしい考えがある......反ユダヤ主義者にユダヤ人の富を清算するように仕向けよう......反ユダヤ主義者はユダヤ人に対する迫害と抑圧を強めるという点でそれによってわれわれを助けるだろう。反ユダヤ主義者はわれわれの最良の友となるであろう。その後ヘルツルはシオニスト組織の総裁に選出され51年後にイスラエルの国旗となるシオニストの旗として「ロスチャイルドの赤い六芒星(サイン)」を採用する。エドワード・ヘンリー・ハリマンはユニオン・パシフィック鉄道の取締役となりサザン・パシフィック鉄道の経営権を握る。これはすべてロスチャイルド家によって資金提供されている。1898:フェルディナンド・ド・ロスチャイルド死去。1901:エドモンド・ジェイムズ・ド・ロスチャイルドによってパレスチナに設立された植民地のユダヤ人たちが代表団を送り、彼にこう告げる「イシュヴ(ユダヤ人入植地)を救いたいのであればまず手を離し、......一度だけ入植者たちが是正すべきことを自ら是正する可能性を持つことを許可してください。」エドモンド・ジェイムズ・ド・ロスチャイルドはこれに非常に腹を立てこう述べた。「イシュヴを作ったのは私だ。したがっていかなる人間も植民地主義者も組織も私の計画に干渉する権利はない」ドイツのフランクフルトにあるロスチャイルドの銀行M.A.フォン・ロスチャイルド・ウント・ゾーネは、ロスチャイルドの後継者となる男子がいなかったため閉鎖された。
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