上の掲示板でガンマ線観測で、+10を超える大きなデータが三回連続で出たと言っている。これは空間にラドン222が出ていることを意味しているだが、普通は「直前空白」といって震度6クラスの地震の前兆では発生直前にマイナス10を超えるデータが続いて出ることが多い。これを「嵐の前の静けさ現象=直前空白」と呼んでいる。ラドン放出が止まってしまうのだ。だが出ていない。ということは次にマイナス10~20クラスのデータが出たらはるかに大きな地震が起きることを意味していると思う。どこで起きるかは不明だが、警戒をすべきだ。昨日夕方マイナス20.5が出たとの報告。直前空白から発生まで長くても数日程度なので、今日明日のうちにどこかでM7前後の大地震が起きる可能性があるため警戒が必要だ。南海トラフスーパー地震M9そして新関東大震災M8さらに青森東方沖アウターライズM8、千島海溝巨大地震M8と恐ろしい超巨大地震の発生確率がどんどん上がっている。日本列島で今年震度5以上の地震が4月18日段階ですでに23回

「南海トラフ地震の前後で内陸の地震が活発化」
南海トラフ地震の前50年から後10年の間に起きた地震の数(73)とそれ以外の期間に起きた地震の数(24)をそれぞれの期間の合計年数(425年と575年)で割ると前者が後者の約4倍となることがUtsu, 1974の論文で報告されています。

2011年の東北大震災の前にも、関東東北各地で地震活動の活性化が見られた。先の能登半島大地震の珠洲市の揺れ動画を見て再認識させられた。
なおその後、原子力規制委員会が何一つ異常はなく安全と決めつけ配信している志賀原発の被害が次々に暴露されるようになった。使用済み核燃料プールから大量の水漏れが起きたのと、変圧器の大量漏油、構内の10数センチに及ぶ段差、電力供給ラインが2本とも破壊され復旧の目処が立っていないことに加えなんと原子炉内で制御棒システムが脱落しているとの報告まで出てきた。

これを「安全何一つ異常はない」とメール配信してきた原子力規制委員会がどれほど厚顔無恥でデタラメな原発ヨイショ組織なのか世界に発信したわけだ。メルトダウン事故が起きても何の異常も起きてないと言い張るにちがいない。まるでデタラメ動燃の再来だ。大地震で原発が震度5以上に晒されたたなら、真っ先に逃げ出すことを考える必要があり、くれぐれも原子力規制委員会の安全デマに欺されてはいけない!フクイチ事故で枝野幸男や細野豪志が「ただちに放射能の影響はない」と決めつけて避難を妨害したが原発推進勢力(当時民主党は原発輸出の最中)の発言は絶対に信用するな!それに民間地震予知を嘲笑否定してきた気象庁も大地震を予測できる能力が皆無である起きた後に役に立たない屁理屈を発表するだけでこれまで大地震を予測したことは存在せず、その前兆を警告したこともなく「この地震は巨大地震とは無関係」との否定的屁理屈しか発表したことはない。相変わらず宏観前兆を否定し、機材やアカデミーの屁理屈論文だけしか信奉できないアホとしか言い様がない。「地震は地面の下の現象、雲や空は上の現象だから関係あるわけがない」と言い続けているのだ。どこまで馬鹿なら気が済むんだ!先の豊後水道M6.6、震度6弱もみんなが南海トラフ地震の前兆?と心配したが気象庁は「プレート内部だから南海トラフ地震とは無関係」と糞の役にも立たない知ったかぶりを公表しただけだった。

1970年始め頃中日新聞に取り上げられた鍵田忠三郎(当時奈良市長)の地震雲観測に触発され、宏観観測を始めた。やがて「これが地震雲だ」が出版されこの本は我々宏観観測者のバイブルとして今でも役立っている。(この人の場合)地震前兆として捉えているのは、①地震雲(極めて多様だが基本は帯雲)②震源地周辺の赤焼け現象(放出されるラドンが短波長光を吸収し、赤っぽい長波長光だけが残るので、数日前から震源地が赤っぽく見えたり、風景が黄色みを帯びる)③震源地から出る電離層の観察(おおむね前日普段見えないテレビのチャンネルが地震の前に鮮明に見える)

④カラスなどの生物前兆(激しく騒ぎ、犬猫も落ち着きをなくす)⑤前駆微震(大地震の十数時間前にゆらゆら感がある。近いときは突き上げ感)
⑥緊迫感のある耳鳴り(頭痛や不調など、さまざまな体感)⑦アマチュア無線やテレビ通信のノイズ(阪神大震災前に大阪の消防無線が名古屋に入感していたが凄まじいバリバリノイズだった)
⑧パソコンWi-Fiの不調、フリーズ現象の多発(FM波特有の弱肉強食ブロッキング現象)
などだが宏観前兆や地震前兆を研究している人は非常に多いので、ネット上に出ているものを紹介する。宏観観測をする人は登山経験の多い「山屋」が多い。自然と触れあう機会の多さが、宏観の共通点を抽象して法則を見いだすことができる。
地震の前兆の可能性がある自然現象 東北大学東北アジア研究センター 石渡明

1.前震
 大きな地震の数日~数カ月前(短期前震)または数カ月~数年前(長期前震)に,本震の震源周辺の地域で小さな地震が頻発することがある.例としては,1872年の浜田地震の際,島根県東部では本震の発生4, 5日前から西方に鳴動が聞こえ,地震を感じた.当日も11時頃に微震が3回あり,16時頃と17時頃にも地震があって,17時過ぎに本震が来た.また1930年の北伊豆地震では,その年の3月をピークとして2月~5月に伊東沖で3000回以上の有感地震を含む群発地震があったがその後も完全には収束せず,11月中旬になってまた頻発するようになった.11月25日には東京でも揺れを感じる地震が3回あり,翌26日に本震が来た.実際上は,1~2回の前震があっても,大地震が来る前にそれを前震と判断するのは不可能であり,群発地震も大きな地震に至らずに収束することが多いので,これらを根拠にして大地震を予報することはできない.ただしとにかく小さな地震を感じたら,大きな地震に対する身の回りの備えを確認する習慣をつけるのは賢明だろう.

また大地震の後は1ヵ月程度にわたって必ず余震が続き,地域によっては本震よりも余震の方が大きな揺れになることがあるので,余震域やその周辺地域では,本震による被害が少なかった場所でもこれを前震と考えて,大きな余震への対策を準備すべきである.イタリアで300人が死亡した2009年のL’Aquila地震では,群発地震が続いていたのに当局が「安全宣言」を出したことが,その後に起きた本震の被害を大きくした,として裁判沙汰になっている(この件の参考資料).
2.鳴動(地鳴り)
上の浜田地震の例のように,前震に伴って鳴動(地鳴り)が聞こえることがある.1854年の伊賀地震では本震の3日前から鳴動が始まり,2日前にはかなり強い前震が2回あって鳴動が盛んになり,27回の小地震があった.前日には午後2時頃に強い地震を1回感じただけで,比較的静かになったが,当日の午前2時に本震が来た.なお地震の直前(数秒~数十秒前)に聞こえる地鳴りは本震の大きな揺れ(S波)が来る前に到着する初期微動(P波)による音だろう.

3.地盤の隆起・沈降またはそれらの傾向の変化
 1964年の新潟地震の震源(粟島付近)に面する日本海沿岸地域では,1940年頃から隆起が顕著になり1960年には1900年と比べた隆起量が最大16 cmに達したが,1962年には隆起が止まり

1964年の地震の際に一挙に10~20 cm沈降した一方,新潟市付近では1900年以後ゆるやかな沈降が続いていたが1955年頃から隆起に転じ1962年頃にはその隆起も停止して,1964年の地震では数cm沈降した.地震の数年前から隆起・沈降の長期的な傾向が大きく乱されていたことがわかる.関東大地震についても三浦半島三崎の地盤は1900年の観測開始以来,年1 cmの割合で沈降していたが,1921年から逆に年3 cmの割合で隆起するようになり1923年の大地震で1.4 mほど隆起した.

4.海面の変動(潮が引くなど)
日本海は干満の差が少ない(数cm程度)ので漁業者や住民が地震前後の地盤の上下変動に気がつく場合があった.例えば,1927年の丹後地震では3月7日18:28の地震発生の数時間前に,今まで表れたことのない岩が海面上に露出していた.この隆起量は1m程度と考えられる.この一時的隆起は地震で出現した郷村断層の東側の地域で顕著だったが地震後はもとに戻った.しかし断層の西側の地域では地震によって80 cm程度隆起し,その後もとにもどっていない.このような地震直前の隆起現象は1793年の西津軽地震,1802年の佐渡地震,1872年の浜田地震でも記録されている

2007年の能登半島地震では,門前を通る断層の南側の海岸が地震後に50 cm程度隆起したが,地震の直前に隆起・沈降があったかどうかはわからない.

5.井戸水や温泉の混濁,枯渇,異常湧出,温度変化,化学組成変化など
1943年の鳥取地震は,3月4日と5日,そして9月10日に発生した.鳥取市の吉方温泉では3月4日19:40の地震の30分前に無色の湯が米汁のように白濁し湧出量が平常の1.5倍になったが温度は大差なかった.また9月の地震のときは,特に変化はなかった.吉岡温泉では3月,9月の地震の前日に,無色から濃い米汁のように白濁し,浴槽内で自分の足が見えないほどであった.1961年から71年まで続いた長野県の松代群発地震では多量の地下水が湧出し,これによって多くの地すべりが発生した.1995年の阪神大震災では,地震の数カ月前から六甲山地で地下水の湧出量の増加や化学組成(塩素の量など)の異常な変化が見られた.また,地下水や大気中に含まれる放射性元素であるラドンの量が,阪神大震災の8日前に著しく増加した.ラドンは岩石中のウランやトリウムの放射壊変で生成する気体で,地下水とともに移動すると考えられる.ただし,地下水の量や化学組成の変化が必ず地震発生と結び付くわけではない

6.石油の滲出
秋田平野などの油田地帯では,地震の前後に石油がしみ出してくることがある.1810年の男鹿地震では,10日前から前震が頻発した他に,1ヶ月ほど前から,八郎潟の湖底に石油が滲出したらしく,湖水の色が赤や黒に変化し,魚が大量死したという記録がある.1939年の男鹿地震でも,地震の前日に八郎潟でフナやコイが岸の近くに押し寄せて,多数捕獲され,一部の場所では手捕りができるほどだったという.ただし,地震の当日には来なくなった.また海岸では地震の前日の午後から当日の午前(地震発生は14:58)に多数のイイダコが酔ったような状態で砂浜にはい上がってきた.これらも石油の滲出によるのかもしれないまた天然ガスの噴出によって臭いを感じたり,ガスが燃焼して「火の玉」が飛んだりすることもあるらしい.

7.ナマズなどの生態異常
上の男鹿地震の例は,地震の前日~当日に魚類やタコに異常な行動が見られたことを示している.1923年の関東大地震の前日に湘南の鵠沼海岸の池で投げ網を用いて30 cm大のナマズをバケツ3杯分ほど漁獲した人がいた.ナマズは昼間は池の底に潜んでいるはずなのに,泳ぎ回っていて容易に捕獲されたことは,地震の前兆の何らかの刺激による異常行動かもしれない.関東大地震の直前に向島の料亭において,池の水面から頻繁に小魚が跳び上がるのを見て,店の者に何という魚か聞いたところ,ナマズの幼魚で2~3日前からこのように跳ね上がっていて不思議なことだと答えたという.その他,犬,猫,鳥など様々な動物について,大地震の前に落ち着きをなくす,異常な鳴き声を出すなどの変化を示すことが報告されている
 

8発光現象(光りもの)
地震に伴う顕著な発光現象が,科学者を含む多くの人によって観察されたのは1930年の北伊豆地震(「前震」の項を参照)である.伊東で観測していた地震研究者が未明の地震に際し箱根方面(この地震で活動した丹那断層の北方延長)に顕著な発光現象を観察した.他にも多数の人が光を目撃したが,この現象が発生した時刻は地震の前というよりも,地震と同時だったらしい.この地震に伴う発光現象については,武者金吉氏や寺田寅彦氏の研究論文がある.1751年の越後高田の地震では,夕暮れから海に出た名立の漁師が沖でボラやカレイを釣っていたが,名立の村の方向が一面に赤くなり,火事だと思って急いで帰ったところ何事もなかった.しかし夜半過ぎになって大地震が起こり裏山が崩れて海になだれ込んだため,名立の村は全滅した(これは海を漂流していて救助された村の主婦の話)つまりこの時の赤い光は地震の数時間前に発生したことになる.ただしこのような光は微弱であり昼間は見えないだろう.

9火山の噴火
地震活動と火山活動の関連を示す事例は多々ある例えば平安時代の869年の貞観三陸地震,878年の元慶関東地震,887年の仁和関西地震に先だって864年から866年に富士山が大噴火し,青木ヶ原溶岩を噴出した例がある.しかしいつも富士山の噴火が地震に先行するわけではなく1703年の江戸地震,1707年の東海・南海地震(10月28日)の場合はその直後(1707年12月16日)に富士山が噴火した(宝永噴火).そして1854年の東海・南海地震1944・46年の東南海・南海地震の際には富士山は噴火しなかった.歴史上初の木曽御嶽の噴火(1979年)の5年後(1984年)に直近で長野県西部地震が発生したことも,それらの関連を示唆する.

10.電磁気異常
多くの人が電波を利用するようになったのは1950年代以後なので,それ以前の地震についての電磁気異常の報告は少ない(1855年の江戸地震における「地震の直前に磁石についていた鉄が落ちた」などの報告は疑わしい)1995年1月17日の阪神淡路大震災では,地震の2週間程度前から数時間前にかけてラジオやテレビの雑音,リモコンや携帯電話などの動作異常があったという多数の報告が地震の後でなされている.同様なラジオの雑音などは1970年代に中国で起きたいくつかの大地震の前にもあったことが報告されている.兵庫県立西はりま天文台(佐用町)では阪神淡路大震災の40~20分前と地震発生から45分間,地表からと思われる異常な電波放射を観測しているが中国でもレーダーが地震の前に擾乱を受けたことが報告されている.