欧州ではアンネの日記に疑問を抱くことさえ許されない。

 ◆◆◆ ヒトラーはユダヤ・ロスチャイルド卿の孫 ◆◆◆

 (※)英国王室はゴールドスミスの血であり、ロスチャイルドの血。

ヒトラーがドイツの権力の座についた理由、そして第二次世界大戦の本当の目的は、ユダヤ人が彼らの祖国であるパレスチナに帰るように追放しユダヤ国家イスラエルの建設(シオニズム運動)に必要な国民を集めることにあった。「ナチ党」の正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」である。但し、「ナチ(NAZI)」という語はヘブライ語でユダヤ人らの言葉でありドイツ語ではない。「ナチ(NAZI)」の本当の意味は「国際シオニスト連盟 (National Association of Zionist International)」だという。1929年と1931年にヒトラーのナチ党の前身「ドイツ社会労働党」はアメリカの国際資本家グループからそれぞれ1,000万、1,300万の米ドル献金を受けている。これらナチスに献金した国際金融資本とは、アヴェレル・ハリマン、プレスコット・ブッシュ、J・P・モルガン、ウォーバーグ兄弟、シュローダー兄弟など、ウォール街とシティの国際銀行家達。また国際決済銀行もナチスの財源確保に加担した。ナチ党が主導権を握った1933年には700万米ドルの献金を同一グループから受けていた(UPI報道)こともあるという。

アメリカにかぎらずドイツ国内や英国、フランス、オランダなどの国際資本家グループの資金もいったんナチ党の金庫に収納された。J・F・ケネディの父親もナチ党に献金した。
ブッシュ閥がナチ党に化学製品を売り込んで莫大な利益をあげたように国際金融資本グループは、献金の何倍もの利益をあげた。創設当初のナチ党に100万マルク支援した2人のユダヤ人、オッペンハイマーとウォーバーグたちは、ナチ党崩壊と同時に西ドイツ政府から賠償金20億ドルを逆払いさせている。
その目的のために700万人以上のドイツ人が殺された。この数はユダヤ人やポーランド人の死亡数どころではない

 第二次世界大戦で何百万人と虐殺されたのは実はユダヤ人ではなくドイツ人である。ドイツ市民は空爆で、或いは連合軍の捕虜となったドイツ兵の場合は獄中餓死で何百万人も殺された。ヒトラーはユダヤ人絶滅命令を一回として出してはいない彼が部下に命じたのはユダヤ人をドイツから追放することのみであるもう一度言うなら、『イスラエル国家建国のためには国民が必要であり、その国民要員としてユダヤ人を集め収容した。』『但しユダヤ人の強制収容所での死亡者は600万人と違って3万人である。その大半の死因はペストである。ペストの流行はユダヤ人の不潔さと医師の治療を拒否する宗教上の問題からである。』何故アンネも含むユダヤ人は強制収容所で死んだのか?アンネ・フランクは1945年3月上旬ベルゲン・ベルゼン強制収容所で発疹チフスを患って亡くなった。もし治療を受けていたらもしかすると彼女は助かっていたかもしれない。しかしユダヤ教に入り込んだ悪魔の法典タルムードの「偶像礼拝者や異教徒からの医療的な助けは避けなければならない」(Pesachim 25a) という邪義がそれを許さなかった。タルムードを信ずるユダヤ人達に、非ユダヤ人の治療を受ける選択肢は無い。アンネ・フランクも他のユダヤ人も治療を受けずに亡くなった。ヒトラーはユダヤ問題解決のためアメリカやイギリスと極秘のうちに話し合いを進めていた

 その時の連絡係を果たしたのがアイヒマン。役目上彼は国際ユダヤ組織のトップたちと何度となく話し合っている。そして彼らの考えを克明に記録に残した。ワイツマンはユダヤ人たちが迫害され、あるいは殺されることによってそれがイスラエル建国のバネとなりまた戦争後のユダヤ人たちが世界にアピールしていくときのバネになると、彼ははっきり答えている。ヒトラーの犠牲になった大半はドイツ人だが一部犠牲になったユダヤ人のほとんどはシオニストではなかった。特にポーランドのユダヤ人の場合大多数がシオニズムと縁を切っていた。このシオニストではないポーランドのユダヤ人は、ユダヤ人の悲劇を演じるために殺されたとしている。但しゲシュタタボに殺された大半は非ユダヤ系ポーランド人であるがそれをユダヤ人とした。多くのユダヤ人が殺されれば殺される程全世界の同情はユダヤ人に集まりシオニストによるユダヤ国家建設が正当化された。『アンネの日記』は世界の同情をかうために事実を歪曲して創作されたもの。イスラエルの国の建国を目指す世界のユダヤ人(シオニスト)達は積極的にナチスに協力した。シオニストの目的はあくまで「シオンの地」パレスチナでの国家建設にあり「シオニズムはすべてに優先する」結果として彼らは1878年以来ロスチャイルド家が土地買収を続けてきたパレスチナにユダヤ国家を建設することに成功した。1939年第二次世界大戦勃発。ナチスドイツはソ連と不可侵条約、翌年にはドイツ・ソ連通商協定を結びヒトラーは「賎しいユダヤ人」「呪うべき共産主義者」と攻撃していたはずの共産主義ソ連と手を組んで石油・貴金属・穀物の供給を受けた。ヒトラーが呪うべき共産主義者を攻撃したのは共産主義とは市民の奴隷化であり家畜化であるという理由からでもあった。ドイツは日本と同じで石油が出ないのでドイツに戦争をやめさせたければ石油の供給を止めればよいのである。しかしドイツにソ連のバクー油田から石油を供給したのみならず資金を提供し戦争を継続させたのはロスチャイルド=ノーベル財閥の石油会社シェル(敵国である英国籍)であった。

ユダヤ人定義:ナチス時代は簡単に言えば祖父母のうち一人でもユダヤ人ならユダヤ人。イスラエルの現在採用しているユダヤ人定義は『母親がユダヤ人か、あるいはユダヤ教徒』開戦から9ヶ月後1940年6月7日にナチス政府は次のように公表した。「ソ連とルーマニアからの大量の石油輸入によってわが国のガソリンは確保されているのである!」この石油を運んだのがほかならぬイギリス・ロスチャイルドの会社「シェル」であった。5月23日ヒトラーがロシア油田の共同開発をソ連に申し入れた時、今度は盟友であるはずのスターリンが拒否する態度に出たのである。ソ連はドイツにバクーなどの石油を輸出するどころかいまや国内の石油が不足しはじめ11月にはモロトフがヒトラーに中東の石油を要求するほど事態は深刻になっていた。ロシア国内は石油不足でこの時点ではすでに両人とも相手がどれほど危険な人物であるかに気づいていた。独裁者と独裁者の対決がこうして石油取り引きのために決定的な事態を迎えた。それからわずか1ヶ月後ドイツ軍がロシアに侵入する姿を全世界は目にすることになった。バルバロッサ作戦。石油は魔物。

 ●ここで英国首相のチャーチルについての要点だけ書いておく。


チャーチルはイギリスの軍需産業に火を付けそのためヒトラーとナチズムを生み出した戦争の挑発者。特にナチズムに対するドイツ国民の共感を誘発した男、
第二次大戦の要因を自らの手で生み出した男、それがチャーチルの過去であった。そして自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばならなかった。その男の出番が到来したのである。“チャーチル首相の閨閥”を系図でみると従兄のチャールズ・チャーチルが19世紀全米一の富豪で鉄道王ヴァンダービルトの娘と結婚していたため首相は一文無しのような顔をしながら一族には金がうなっていた。従姉リリアン・チャーチルはイングランド銀行総裁とモルガン・グレンフェル創業者のグレンフェル一族と結婚しこれまたロスチャイルド家とモルガン家という世界二大富豪を掌中にしていた。チャーチル本人はマルボロ(モルバラ)公爵家に属する最高位の貴族ファミリーで1953年にガーター勲章を授けられてサーの称号で呼ばれるようになりチャーチル夫人は“レディー”と呼ばれるようになった。

ロスチャイルド家の誠実な代理人で好戦家、これがチャーチルの隠された最大の特質であった。ロスチャイルド財閥のメンバーとしてこの男が首相の座についた瞬間イギリス国内の反ユダヤ勢力は一掃され上流社会の動揺は遂に鎮静された。ロスチャイルド財閥は崩壊していなかったのである。チャーチルがルーズベルト米国大統領に第二次世界大戦への参戦を願い出た。日本でもユダヤ系ルーズベルト大統領の指揮下の山本五十六が太平洋戦争(大東亜戦争)を起こした昭和23年12月23日巣鴨プリズン刑場にて絞首刑となり久保山火葬場で霞となられたA級戦犯7名。内六名は欧米諸国の東南アジア植民地の独立の基礎を作った憎き帝国陸軍。米国ルーズベルト大統領と通じて帝国海軍を殲滅させた米国のスパイ・帝国海軍総督:山本五十六を代表とする帝国海軍のA級戦犯絞首刑者は一人もいない。残る一名は政治家。広田弘毅 第32代内閣総理大臣。

《非軍人の広田弘毅が絞首刑にされた本当の理由》広田弘毅はそもそも戦争に反対していた故である。
オランダのベルト・レーリンク判事は「広田が戦争に反対したこと、そして彼が平和の維持とその後の平和の回復に最善を尽くしたということは疑う余地が無い」と明確に無罪を主張している。首席検事のジョセフ・キーナンですら「なんという馬鹿げた判決か。どんなに重い刑罰を考えても終身刑までではないか」とのコメントを残している。