戦前、欧米では進化論を前提にした「優生保護思想」が大きな力を持っていた。ダーウィンは「あらゆる偶然の突然変異は淘汰に晒され、環境に適合できる優れたものが生き残り、劣ったものは消えて行く」と進化の原理を示し「だから劣ったものが存在してはならない」という優生保護思想に理論的、思想的根拠を与えたといっていい。これに対しキリスト教保守派は、「すべての事物現象、生命体は神が定めたものであり、優劣は存在しない」という思想で対抗した。だが観念的な決めつけだけで、科学的説得力の欠落した反進化論の敗勢は明らかだった。ダーウィニズムは、世界の優生保護思想を激化させたといっていい。これによって、ナチスはT4作戦を実施し、自国の「国益に寄与しない」障害者たち40万人をガス室に送った。日本でも主に革新系女性議員からの提案で、「優生保護法」が成立し、障害者本人の意思を無視して、強制的に生殖能力を奪う残酷な政策が長く実施された。これにより、数万人の障害者が強制不妊手術を受けさせられた。「優れたものを残すのが正しく、劣ったものを排除抹消しなければならない」というのが優生保護思想の本質だ。
この思想は、資本主義社会で、競争に晒された人々が、幼い頃から無意識に洗脳される思想でありこれが「自然界の摂理」であるとお墨付きを与えたものがダーウィン進化論である。この優生保護思想は、日本人のほぼ全員を洗脳し縛り付けているといってもいい。未だに「優秀」という言葉に呪われた無数の若者たちを産み出し続けている。
彼らは「自分が優秀でない」という恐怖に怯えて追い立てられるような毎日を過ごし、自分より劣ると感じた人を見下し、嘲笑し、自分が優秀であるとの証拠を求めて、優越感に浸るため、高級車で我が物顔で暴走したり、美人妻を求めたり、学歴の低い者や、障害者を見下して社会から排除しようとするのだ。こうした「優秀強迫症」とでもいうべき思想の根源にある「劣ったものが消えてゆくのは自然の摂理」であるかのような進化論に対し、真っ向から疑問を投げかけた人物が今西錦司だった。今西は、「劣ったものが淘汰されて消えてゆくわけではない。それぞれの能力に応じて棲み分けてゆく主体性がある」という進化論の間違いを正した「今西進化論」を提唱した。それは、「この世界に生まれた、すべての存在に合理性がある」という理論であり、生物は自然淘汰されるのではなく、自らの意思で、生存環境を求めることができるという新たな発見であり、それはダーウィンに代表される唯物論(自然淘汰)至上主義に対して、唯心論を提起するものでもあった。
だが、「優れたもの」を求める人間の習性は凄まじいもので、戦前、ドイツ人やユダヤ人、日本人にそれが著しかった。それらは「優劣を定める社会」だった。優劣だけが人生の根拠であるかのように人々を縛り付ける社会だった。日本の儒教社会は、身分序列に代わって学歴序列を掲げていた。例えば会社員のほとんどが、人と接するとき、最初に「相手は自分より序列が上か下か」を見定めようとする。そして、その基準が学歴や、大学ランキング、そして企業内の地位であり、自分より下であると思えば、その瞬間から相手を見下すような習性に洗脳されてしまっている。だから、いつでも「どちらが優秀か?」と目を皿のようにして探すことが人間活動の常識であるかのように思い込んでしまっている。始終、序列ばかり気にする人生ならば、当然その関心は人間の優劣に向かい、優生思想に向かうのだ。劣っているとひとたびレッテルを貼られたら、誰も見向きもしないし、汚いものを見るかのように目を背け、可能ならば排除しようとする。結局「優秀」に呪われているのである。生まれて来て必ず学校に行かされる=テストの点数、成績表などの数字でしか学校側も親側も評価しようとしない。そりゃ小さい頃から学校で日常的にそれを、まのあたりにすればそれが、当たり前で、普通なんだという感覚にいやでもなるし、そう育つ。社会に出ても実績、成績(やっぱり数字)でしか評価されない。そこまでガチガチの優生思想の人じゃなくても、人は多かれ少なかれ、そういう感覚は最初から成長過程で、そうなるように出来てるし、最初からそう作られてる。一度でも社会で当たり前のレールから外れると、そのレールにそんな簡単に、戻れるほど社会はそう甘くない。尾崎豊の卒業という歌詞を偶然見た時に作られた自由の意味が分かる気がした。

校舎の影 芝生の上 すいこまれる空

幻とリアルな気持 感じていた
チャイムが鳴り 教室のいつもの席に座り
何に従い 従うべきか考えていた
ざわめく心 今 俺にあるものは
意味なく思えて とまどっていた

放課後 街ふらつき 俺達は風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
笑い声とため息の飽和した店で
ピンボールのハイスコアー 競いあった
退屈な心 刺激さえあれば
何でも大げさにしゃべり続けた

行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった

信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業

誰かの喧嘩の話に みんな熱くなり
自分がどれだけ強いか 知りたかった
力だけが必要だと 頑なに信じて
従うとは負けることと言いきかした
友達にさえ 強がって見せた
時には誰かを傷つけても

やがて誰も恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに心奪われた
生きる為に 計算高くなれと言うが
人を愛すまっすぐさを強く信じた
大切なのは何 愛することと
生きる為にすることの区別迷った

行儀よくまじめなんて クソくらえと思った
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった

信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過した
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業

卒業して いったい何解ると言うのか
想い出のほかに 何が残るというのか
人は誰も縛られた かよわき小羊ならば
先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか
俺達の怒り どこへ向かうべきなのか
これからは 何が俺を縛りつけるだろう
あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう

仕組まれた自由に 誰も気づかずに
あがいた日々も 終る
この支配からの 卒業

闘いからの 卒業