モニスのこのルーコトミーは、アメリカでは精神病院数と精神病患者数が1903年以来2倍に増加していたのでアメリカですぐに大人気となった。神経学教授のウォルター・フリーマンと助手のジェームズ・ワッツは気分障害のあるカンザスの主婦にルーコトミーを行い、気分の変調は治癒し、記憶障害もなく、動作、人とのやり取りにも問題はなかったが、個性が消失し、ただ単に存在しているだけの状態になってしまった。

Dr Walter Freeman

Dr. James Watts

その後彼らは、技法を標準化し、標準ロボトミーと改称した。1942年にロボトミーの本を出版し、広く広まり、第二次世界大戦後には、心的外傷後ストレス障害を持つ兵士が多数帰国したこともあり、ロボトミー手術件数は、年間100件から5000件に急増した。見当障害、不眠症、不安神経症、恐怖症、幻覚症に対しても行われるようになった。技法も改良され、瞼の下から改良されたルーコトームを木槌でたたいて前頭葉にまで打ち込み、その後にルーコトームを回転して、前頭葉を視床から切断する経眼窩式ロボトミーが広くおこなわれるようになった

統合失調症の8歳の少年は、暴力的なふるまいのせいで地下室に閉じ込められていたが、手術前の左の写真から右の手術一年後危険な兆候が見有られなくなった。

1942年5月の左の写真の手術前には『神よ、僕は今にもブチ切れそうだ』と叫んでいたが1946年9月の右の写真の時には就職し、夜学に通うになった。

統合失調症の女性は、左の術前の状況から、右の術後1年経ったときには飼いならされたペットのようにおとなしくなった。

1945年6月緊張型統合失調症で2年以上にわたり定期的に電気ショック治療を受けていた左の写真と比べ、術後8日目の1948年11月には穏やかな表情となり、その後良好な状態が6か月時点まで続いている。

1940年11月手術前の時点では、仕事が見つからないことが不安となり、その状態が昂じてひどくなった為、手術が行われ、1940年12月の右の写真の時点では、仕事と心の安静が得られた。

1937年には、この治療法の弊害に気付く医師も現れ、大半の人が集中力の欠如、やる気喪失、人生に対する興味の喪失、創造性の喪失が出現していたが、問題行動が治療後に顕著に安定化することが高く評価され、1949年までは、この治療法が広くおこなわれ、この年モニスはノーベル医学賞を受賞した。奇しくもこの年にフランスの製薬会社がクロルプロマジンを開発し、精神科の治療法が大きく変わった。

ロボトミー手術は、米国50000人(対人口比32)日本30000人(37)英国17000人(34)デンマーク4500人(105)スウェーデン4500人(64)ノルウェイ2500(77)など、多数の人に対して行われている。ある調査によるとトボトミー手術を受けた精神障害者の69%で精神病が改善、25%は変化がなく、2%で悪化4%で死亡したとしている。日本では1942年に新潟医科大学の中田瑞穂が日本で初となるトボトミー手術を行った。1947年廣瀬貞夫が復員後松澤病院で4年足らずで約200件、日本全国で2000件さまざまなロボトミー手術が行われた。しかし、廣瀬は障害で523例のロボトミー手術を行っている。

手術効果:
著効8%、良好11%、軽度改善27%、微力改善27%、不変20%、悪化4%、死亡3%であったとしている。「くれぐれも慎重に」行うべきと主張し、ち密な症例観察を行っている。「ロボトミーの効果の核心が人格の変化にあるとすると、その施術にあたって人道的立場からの是非が一応問題になると思う。此の手術について我々の実際的の感想を云うならば、術後相当の期間を経た後の印象では、少なく共人格変化の実際的な、社会的の価値はそれ程低くない様に思われる。実際、強迫神経症の極端に拘泥の激しい状態や、explosiveな精神病質の社会的に実害の大きい状態と比較して、術後相当の期間を経たロボトミーを受けた人の人格が、実際的の社会的価値として果たして低いと云えるであろうか。唯持って生まれた性格から、多少共被動的に離れると云うことは、主観的の問題として簡単には片付けられぬことと思うが、客観的に充分症例を選べば、術後の自覚症状として、自己の性格の変化をそれ程問題にせぬところからしても、人道的にも許されて良いと思う」(林・廣瀬[1949:30],西川[2010:142]に引用)。