SSRIの副作用による“狂暴化アメリカの事情に詳しい専門家によると、

「アメリカでは明るくて快活な子供が理想的とされ、ちょっと落ち込んだり暗くなった子供にも、このSSRIを飲ませちゃうんです」それほどの秘薬だった。それが遅ればせながら、日本へやってきた。国内で認可がおりて発売されるようになったのは、99~2000年頃のことだ。もっとも、それ以前から、個人輸入や医師の処方によっては、国内で認可されなくても服用が認められてきていた。潜在的には、どれほどの日本人がこの薬を頼ってきていたか知れたものではない。ところが、裁判員制度の導入を前にした2009年春頃になって、この薬を服用したことが影響して、犯罪を引き起こした事例が増えているとして、厚生労働省が本格的な調査に乗り出したのだ。それも人殺しや放火といった、それこそ裁判員制度の対象となる事件が多い。しかも、大阪池田小学校児童殺傷事件(01年6月)の宅間守も呑んでいたと伝えられればそれこそ穏やかではない。認可した厚生労働省が慌てるのも無理はない。SSRIの副作用によって“狂暴化”したと認められ、しかもそれによって死刑が回避された裁判が、もう既に日本にある。

全日空機ハイジャック機長刺殺事件

世にいう「全日空機ハイジャック機長刺殺事件」がそれだった。ひとりの男が、包丁だけで乗客乗員517名を乗せた羽田発新千歳行きのジャンボ機をハイジャック。操縦室内に機長と二人きりになると、いきなり包丁で操縦中の機長を殺害してしまうのだった。

それまで日本のハイジャック事件で死刑になった例はなかった。それは、ハイジャック事件で犠牲者がでたことがなかったからだ。その後、世界中を震撼させた米国同時多発テロ事件があっただけに、意外に思えるかもしれないが、日本国内におけるハイジャック事件で死者がでたのは、あとにもさきにも、この時がはじめてだった。単にハイジャックだけでは航空機強取として死刑にはならないものの、そこに死者がでたとなれば、たちまち死刑に相当する事犯である。だから、これが本邦初のハイジャックによる死刑がでる可能性の高い事件だったのだ。ところが、この事件を複雑にさせた要因が、ハイジャック犯の精神科への通院治療歴にあった。事件直前にも、医師の診療を受けていた。それまでにも、過去に2人の医師の診察を受けていた。しかも、この犯人は、犯行直前までパソコンの航空機操縦シミュレーションゲームにのめり込み、それだけで操縦が可能と思い込み機長と二人きりになったのも、自らジャンボ機を操縦したいという願いを果たすためだった。「レインボーブリッジを潜りたい」などと供述したと報道された事件だった。その一方で、ハイジャック犯Nは、一橋大学を卒業していた。いわゆる受験エリートの道を歩んできた高学歴者だった。それも、犯行に用いた包丁の機内持ち込みは、当時の羽田空港の警備上の不備をついた用意周到なものだった。空港の管理会社には、その警備上の不備を事前に指摘したものの、何の改善策も取られなかったことから、自演してみせることで自分の問題提起の正しさを証明して見せたのだ。