ふと気になったことがあり、
調べてみました。

ずっと、これまで法事で説法があって、
毎回いい話で、
わりと楽しみにしてました。

説法とは、法事後の、お坊さんからの
お話のことです。

いつも、お経を読み上げて、
お焼香をした後、
お坊さんから、
お話があり、
それが心に残る、
とっても
いいお話だったんです。

でも、
今回、終了後に説法、
法話がなく、

すぐに、去られました。

もちろん、それはそれで、
そもそもお経をあげていただいたので、
問題なく、七回忌が終了したのですが、

これまで、法話があったのに、
無かったのは、なぜかな?

と、気になってしまって、

もしかして、七回忌って、
法話は、無いのが普通なのか、
調べてみました。

七回忌で「法話が無かった」理由はいくつか考えられます。お寺や宗派、担当住職さんの考え方によってかなり違いがあるため、一般的な可能性をまとめました。


◉ 七回忌で法話がないことがある理由

1. 法要の規模によって法話を省略することがある

三回忌までは参列者も多く、説法を入れるお寺も多いですが、
七回忌以降は比較的「家族のみの法事」が多く、
儀式だけをして法話は省略するケースが増えます。

2. 住職の方針・その日のスケジュール

住職さんによっては、
「法話は希望があればする」
「時間があるときだけ行う」
「法要に含めない」

という方針の方もいます。
当日のスケジュールが詰まっている場合も省略されることがあります。

3. 以前の法話が“特別扱い”だった可能性

前回の法事(初七日・四十九日・一周忌・三回忌など)は
節目として法話をつけるお寺が多いので、
その時だけ特別にしていただけていた可能性もあります。

4. 施主が希望を伝えなければ、省略される場合がある

お寺によっては、

「法話は希望があればお話します」
という運営をしているところもあるようですが、

私たちは、最初から、
法話を希望していたわけではなく、
でも、毎回、終了後に、
いいお話をしてくださってました。




私は、聞く勇気がなかったのですが、


角が立たない自然な質問としては…

「以前の法事では法話をいただいたのですが、
七回忌では省略されるものなのでしょうか?」

と聞くと、お寺側も丁寧に説明してくれたのかもしれません。


◆ 七回忌で法話が無かった理由候補

法要の規模が小さくなるため

三回忌までは参列者も多く、僧侶が法話をして場を整えることが多いです。
七回忌になると参列者が減ったり、家族だけの簡易法要になるため、省略されることがあるようです。



お寺・僧侶の方針(地域差・宗派差)

宗派やお寺によっては、
七回忌以降は法話を必ずしないという運営方針のところもあるようです。
(逆に、十三回忌には話すという寺もあります)


住職が配慮して短縮した可能性

・参列者がご高齢
・長時間の正座がつらそう
・全体の雰囲気から、早めに終わらせた方が良さそう
などを見て、住職が判断して法話をカットすることもよくあるそうですが、
うちは、特にそういう理由ではなさそうです。


法要の時間が押していた

前の予定が押していたり、次の法要と重なりそうな時などに
時間調整のため法話が割愛されることがあります。

ちょっと忙しそうでしたので、土日だったからかもしれません。


初七日・四十九日・一周忌・三回忌は、あったので、
七回忌だけ、なにか理由があるのか、
無いのが普通なのかどうか、気になったのですが、

法事の後の法話(説法)は “義務” ではなく、かなりの部分が「サービス・善意」に近いもの」のようで、これは多くのお寺で共通しているようです。



■ なぜ「法話=善意・サービス」になるのか?

① 法話は法要の必須項目ではない

法事の正式な流れとして必要なのは
読経
焼香
回向
この3つが基本で、法話は必須項目ではありません。

② お寺によって実施がバラバラ

同じ宗派でも
毎回きっちり法話をするお寺
希望者のときだけ話すお寺
ほぼ話さないお寺
と、対応が大きく違います。
つまり「決まりだから話す」わけではありません。

③ 法話は事前準備も含め“負担が大きい”

僧侶が法話をするには
内容をまとめる
法事の状況に合わせて話題を選ぶ
時間配分を考える
など準備が必要です。

実はこれ、僧侶側にとっては手間と神経を使う作業であり、
同じ時間で読経だけ終えるよりも労力が倍以上かかることもあります。

そのため
「喜ばれそうだから」
「少しでも供養になるように」
という気持ちで話している僧侶が多いです。

④ 本来、法話は“説教師”が専門で行うもの

昔は、法話を専門にする「説教師」がいて、
今日の法事で必ず法話をする…という文化はあまり強くありませんでした。

つまり、法話をセットで行うのはあくまで現代のサービスに近い対応です。



■ 実際のお寺の本音に近いところ

僧侶の方としては、
「法話を楽しみにしてくれてるから話している」
「長くすると嫌がられる家もある」
「法話を必ずしないといけない決まりは全くない」
「読経だけで終わると早くて助かる日もある」

つまり、柔軟に対応してくれている善意が大きいようでした。

これまで、本当に有難かったです。



■ まとめ(簡単に)
法話は法事の必須項目ではない
お寺の“サービス的役割”で行われることが多い
僧侶の負担も大きく、あえて省くこともある
希望すればお願いできる場合がほとんど



最後に、ちょっと気になったのが、
お布施の金額で「法話がある・ない」が決まることがあるかについてです。

うちは、
平均的な金額を調べてお渡ししていたので、
少ないことは無いと思うのですが、
多いこともない、という状況でした。

ネット検索したところ、
ほとんどのお寺では お布施の額とサービス内容を結びつけることはしないようですが、
現実的には “ごく一部のケースでは影響する可能性もある” というのが正直なところのようです。

まとめ

■ ① 基本的には「金額とは無関係」

お布施は 気持ち・お志 という扱いで、
お寺は金額でサービスの内容を変えることはしないようにしています。
法要の読経
焼香の順序
法話の有無
扱いの丁寧さ

これらは 金額とは切り離して行う のが建前であり、実際そうしている寺院が圧倒的です。


■ ② でも…現場の“リアル”を言うと、例外はある

“制度として決まっているわけではない”ですが、
僧侶の本音ではこういう話も聞きます。

● 例外ケース(非常にまれ)
1. 極端に少なすぎる金額だった場合
 → 時間のかかる法話を控えて、読経だけで済ませることがある
2. その家がいつも簡略を望んでいる場合
 → お寺側が「今回も簡略でいいのかな?」と判断して法話を省略
3. その日に法事が立て込んでいる場合
 → 時間優先で簡略化(これは金額とは無関係)
4. 逆に非常に丁寧に接する家や、関係が深い家
 → 自然とお話が長くなる事がある(厚遇というより “親切心”)

でもこれらはどれも
「お布施の金額で決めている」わけではありません。
あくまで “その家の雰囲気・普段のやりとり・時間の都合” による判断です。


■ ③ ほとんどの場合、あなたのケースは「金額とは無関係」

私の場合は…
「これまで法話があった」→ 関係性は悪くない
「七回忌だけ無かった」→ この回だけ事情があった可能性が高い

つまり
お布施の金額が理由だった可能性は低いようです。

七回忌はそもそも簡略化されやすく、
次の法事(十三回忌など)で普通に法話があることもよくあります。


とのことでした。

手間暇がかかる法話を、
わざわざこちらからお願いするのも、申し訳ないので、七回忌以降は法話はない。
と、思って臨んだ方が良さそうです。

三回忌まで、
かなりいいお話を
してくださっていたので、
ちょっぴり寂しいけど、
慈善サービスということですし、
お坊さんが準備していただく手間を考えると、
お願いしてまでは、
と思いました。

母は、
七回忌で、最後にするかも。
と言っていたので、
ちょうどいいタイミングだったかもです。
今までとても有難かったです。

感謝です。