
三ツ星レストランって、
どんなだろ?
と、思って、
クチコミを読んでみると、
カンテサンスというお店の、
ボロっカスに書かれたクチコミが出てきました。
す、、、すごい。
書いてることを読んで妙に納得してしまった。
どんな料理の内容であっても、
それに価値を見出し、
お金を払う人がいるから、
成り立っている商売で、
例えばお腹がいっぱいに
なるということに関しては、
500円でもOKで、
そこから、プラスアルファで、
数万円で
何を満たしたいか。
でも、数万円払って、
期待を大幅に下回る内容だと、
そりゃーボロっカスに書きたくなる気持ちは、
わかります。
でも、そもそも、
何が出るかどうか分からないようなお店だと、
ある程度、何でもOKな人が行くわけで、
2時間ほどに、
納得いく時間を味わいに行くわけで、
美味しさ、
贅沢感、
食材の希少性、
そこにかけられた手間、
ビジュアル、
などを含めた料金で、
驚きがあったり、
楽しさがあったり、
ワクワクがあったり、
するんだろうと、
期待値があがるんだと思います。
行った人が、
嫌な気持ちになったりした場合、
500円なら、
まぁ、500円だったしな、、と、
思えますが、
数万円払って、
その期待を下回ったら、
逆にマイナスが突き抜けるわけですよね。
一気にまやかしに思えてくるわけです。
予約が取れないことに、
幻想を持ち、
それに価値を見出す人間模様や、
高級ブランドを身につけることの、
ばかばかしさに、
ふと、冷静に気づいた、
みたいな感覚。
そして、
美味しいの定義ってなんでしょうか。
味が美味しい、
ということは、
素材がよければ、誰にでも体験できます。
とれたての魚であれば、
アジやいわしですら、
もう、驚くほどに美味しいからです。
安い魚であっても、
とった瞬間に食べれるような体験は、
希少性があがります。
希少性って、色んなところで
価格を上げていきます。
ブランディングです。
超辺鄙な場所にあることを、
逆に希少な体験としてブランディングしていくと、
価値が生まれます。
三ツ星レストランって、
そうやって、コンサル的な匂いが
ぷんぷんする業界な気がして来ました。
そもそも、三ツ星レストランは、日本で
東京と、京都と、大阪にしかないようで、
それもなんか、おかしくないですか?
47都道府県もあるのに。
驚くほど美味しいカツオは、
高知県で食べれるのに。
まぁ、そんな単品がどうのとかでは
ないお話ですが。
取り留めもない話ですけど、
三ツ星レストランのボロっカスの感想を
読んでいたら、
なんとなく、
そもそも三ツ星レストランって、
ブランディングなんだろうなぁ、、
と、思えてきました。
いいとか悪いとかいう話ではなく、
それだけのブランド力のある
料理を味わう、ということであり、
それは、料理人そのものの、
魅力であったり、
有名なシェフに会えるみたいな
付加価値や、
自分は、贅沢をしてるということへの、
優位性を感じる気質であったり、
ブランディングされたものを、
好きかどうかであり、
純粋に最高に美味しいものを求めて、
行ってしまうと、
好みに合わなかったりして、
それが、高価であればあるほど
取り返しのつかないほどの
マイナスな体験になりかねない、
危険性をはらんでるんだろうな、、
と思いました。
ブランドの服は、
当然、そのブランドを愛してる人が
行くので、買ってから文句を言う人は、
少ない気がしますが、
何が出るかわからない、
初めて行くレストランの場合、
外れた場合、
致命傷なんだろうなぁ、、。
私の周りの富裕層は、
自分でお金を払って、
三ツ星に行く人はいないので、
好みに多少合わなくても、
まあ、美味しかった、
(自分では行かないけどね、、)
という感想で、終わります。
自分でお金を払ってまで行きたい、
という人を知りません。
客の半分は、
連れて行ってもらった人であるとしても、
もう半分は連れていった人、
つまり、お金払った人なので、
いるってことです。
そして、数年予約が取れない、
ということは、
ある一定の人数は、
いるってことですよね。
そして、自分でお金を払って、
わざわざ行った人からすると、
好みに合わない場合は、
もう、ボロっカスに
なってしまうんだろうなぁ、、
と、想像つきました。
数万円の喜びを体験しに行ったのに、
そのお店のブランディングに、
自分がハマってしまった、、と、
はたと気づいてしまったのかも。
人にご馳走様してもらった場合は、
味云々よりも、
その人への感謝の気持ちが残りますが、
自分でお金払ったのに、
合わなかった人にとっては、
憤りを感じてしまう価格ですよね、、
お悔やみ申し上げます。
だって、どう考えても、高いですもの、、。
