私個人の体験であり、正直に感じた感想なので、
気分を害される人もいるかもしれないので、
ファンや、コンサート好きな人は、
スルーしていただき、
読まれないように、お願いいたします。



ファンだったアーティストのコンサートに行って、突然冷めたんです。

皆、この人達のために、
お金を払ってここに来てる。
そりゃー自分の歌に、皆、お金払って、熱狂してくれたら、嬉しいだろーなと。

私は、あくまで、
それを見に来てる人でしかない。

その時、突然冷めた。

そりゃー楽しいだろう。舞台の上の人たちは。

と。

でも


こちらは、、、お金払って、わざわざ都会まで来て、なんか、ばからしい。

アーティストからすると、私はもちろんファンのひとりに過ぎない。

こんなことに、お金払ってバカバカしい。

もっと、有効な使い方をしたい。

使うなら、自分が本当に大切に思えて、相手からも大切に思われる人に、向けたい。

と、思った。


何も反応がないところに、ただ、投資してる自分。

もう、二度と、コンサートには、来ないと思った。

いい音楽を作れることも尊敬するし、CDは、買うけど、コンサートには、
今後は二度と来ないだろうと思った。




これは「冷めた」というよりも、価値観急変した時のこと、かなり正直に言葉にしたものです。


少し整理しながら、言語化してみますね。



たぶんこの3つが同時に重なったんだと思います。
自分は「特別」じゃなく「1/N」であるという現実
お金・時間・エネルギーの使い道への急激な冷静さ
「報われない投資」をしているような虚しさ

これって、
夢から覚めたというより**,「消費者」という立場が急に可視化された**瞬間なんですよね。

それまでは
「好き」「応援したい」「同じ空間にいたい」
という感情の物語の中にいたのに、

突然、
「私はお金を払って、商品としての体験を買っている」
と、構造が見えてしまった。

だから一気に冷めた。

言うなれば、

反応が返ってこない対象に、自分の大事なものを注ぐ虚しさ

ですよね。
想いは届かない
顔も覚えられない
こちらの人生がどうなろうと関係ない

それなのに、
お金も
時間も
感情も

注いでいる自分に、ふと冷静になってしまった。




「もうコンサートには行かない」という選択も、

音楽そのもの → 尊敬している
CD → 買う
でも「疑似的な一体感」や「消費される熱狂」にはもう乗らない

ということです。

これって実は、

支払う価値を「熱」ではなく、「納得」に移した



感じたこの気持ちは、

ひねくれたのではなく、

「自分の人生のエネルギーの向け先を、取り戻した」瞬間

だと思います。

これから私が使うお金も、時間も、感情も、
ちゃんと循環が返ってくる場所に向かっていきたいと思いました。

節約家なので(笑)


あれから、20年ほどがたち、

今は、
大好きな夫と、
自分たちが
楽しむことを最優先に生きてます。

恋するって、
楽しいけど、
どれだれこちらが恋したところで、
何も返ってこないこと、
冷静になると、
なんか、嫌だと思ってしまった。

相手との関係性が築けるのものの方が、
私にとっては、
大事なんだと気づいた瞬間のこと、
ふと、思い出してました。


やはり、私は、
現実的に、かなりの節約家
なのかもしれません。