以前書いた、叔母が亡くなりました。



肝臓癌でした。



見つかった時にはもう末期で、

手術はできず、
抗がん剤も無意味でした。



余命宣告を受けてから2年生きました。



病気の事は周りには知らせず、
叔父とふたりだけで闘っていたのでした。





私たちは不仲だったので、

葬儀など全てが終わった後に知らされるのかと思っていましたが、



叔父から
ぜひ来てほしいと連絡をもらいました。
(叔父とは仲良し)





お坊さんや予約の都合で、
亡くなって5日後に通夜と告別式をしました。





数年振りに会った叔母は、

死後時間が経っているからでしょうが、
棺の中で濃いメイクをされていて、

蝋人形のようでしたが、
綺麗で可愛らしいお顔は健在でした。




叔父や叔母の実兄たちは、
本当は誰よりも悲しいはずなのに、



私たちと笑っておしゃべりしたり、
色々と気遣ってくれました。




叔母と関係ない話題で盛り上がり、
あれ?今日は何の集まりなんだっけ?
と思うほど。




通夜で叔母のお友達が数名おみえになり、
人目も憚らず大号泣されているのを見て、
私は初めて泣きました。




叔父は、
病気の事を伏せていた事を謝っていました。




葬儀では、


ありがとう、
ゆっくりね、



とみんなで泣きながら最後のお別れをし、
棺いっぱいに花を添えました。




斎場でお清めの食事を終えると、
寒々しく無機質な収骨室へ。




叔母の焼かれた匂い。
叔母は沢山の白い骨になっていました。




叔母とは、最期までわかりあえませんでした。


他の叔母のような、
仲のいい関係にはなれませんでした。



でも、悪い人ではありません。

関係が悪くなる前は、

泊まりに行ったり、
お弁当を作ってもらったり、
外食したりしました。



本当に短い付き合いでした。



お煎餅とキルトが好きな事も、
葬儀で初めて知りました。




私が知っているのは、

肌が白くて目のぱっちりした、
綺麗でおとなしい人ということ。



そして、
子供がほしかったけどできなかった事だけ。




仲良くできるならしたかった。
でも、もうどうすることもできなかった。





私が彼女なら、
この世には心残りしかないでしょう。


棺が火葬枦に入れられるとき、
私は思いました。




さよなら
おばちゃん、恨まないでね、、、