予知夢を見ますAyAと申します。
今日はスピリチュアルなお話です。
父方の祖父が亡くなって、昨日でちょうど3カ月。
夢におじいちゃんが出てきました。
じいちゃんちの庭。
じいちゃんが育ててたカキナに、一緒に水をあげてた。
「あっちのにも水やっちゃえばいいや。」
「そうだね。」
笑って話してた。
じいちゃんはカキナが大好きでよく食べてた。
でも、あたしはそれしか知らなかった。
おばあちゃんに報告のため電話して、わかった事実。
じいちゃんが種から育てたカキナは、今が収穫期。
かなり美味しく大きくできたらしく、毎朝仏前にあげている。
じいちゃんはそれを育てただけで、食べられずに亡くなった。
じいちゃんがカキナの世話をしていたなんて知らなかった。
生きているあいだに、庭で一緒に水をあげたことも1回もなかった。
おばあちゃんが言った。
「AyAのこと可愛がってたから、一緒に水やりしたかったんだ。喜んでるんだ。」
じいちゃんが亡くなって2週間後、初めてみた夢では、
じいちゃんの車に乗ってドライブしてた。
笑って話してた。
「AyAに会いたくってさ、天国からちょっと抜け出してきたんさ。」
「へぇ、そうなん?」
「そうだよ~」
(じいちゃんは亡くなる直前まで大きな車を運転してた)
…たしか、こんな意味の会話だったと思う。
そうだったらいいんだけど。
生きてるあいだに1回も一緒に庭で水やりしなかった。
カキナの世話をしていたことさえ知らなかった。
あたしはひとり孫なせいか、とても可愛がってもらった。
誕生日はもちろん、なんでもない日にもプレゼントを買ってくれた。
怒られたことなんて1度もなかった。
とにかくやさしかった。
いろんなところに連れてまわって、老人会の旅行にまでついていった。
でも、あたしはじいちゃんに何をしてあげられただろう?
最後に会ったのは去年の夏。
地元を離れてるっていう理由で、最近はろくに会うこともしなかった。
大学の時は年に数回しか会わなかったし、
社会人になってからしたことと言えば、2回お年玉をあげられたことくらい。
その2回目のお年玉も、使わずに死んでしまった。
あたしが一人で海外に行くことも反対しなかった。
それどころか、友達に
「孫は外国語が堪能で、しょっちゅう海外へ行く国際人」
って自慢までしていた。
その国がどんなところだったかいろいろ聞いてくれて、
じいちゃんと旅の話をするのが一番楽しかった。
お父さんが九州へ引越す時も反対したり怒ったりしなかった。
友達に
「二男は立派なマンション買って、九州でがんばってるんだ」
ってこれまた自慢していた。
でも本当は、寂しかったのかもしれない。
じいちゃんごめん。
じいちゃんといて楽しかったよ。
可愛がってもらったこと、絶対忘れないよ。
いつまでも悲しんでたってしょうがない。
じいちゃんは、「大丈夫大丈夫」って言って死んでいった。
面倒見がよくて、あの年齢にしては友達が本当に多かった。
だから、じいちゃんがいなくなっても、
明るく前向きに、友達を大事にして生きていこうと決めました。
死にたいと思ったこともあったけど。
でも、そう決めてから会った友達は数人。電話した友達は1人。
なかなかじいちゃんのように生きるのは難しいよ。
じいちゃんの遺産で買ったエルメスのブレスレット。
死ぬまであたしの手首につけとくからね。
夢に出てきてくれてありがとう。
またきてねー
今日はスピリチュアルなお話です。
父方の祖父が亡くなって、昨日でちょうど3カ月。
夢におじいちゃんが出てきました。
じいちゃんちの庭。
じいちゃんが育ててたカキナに、一緒に水をあげてた。
「あっちのにも水やっちゃえばいいや。」
「そうだね。」
笑って話してた。
じいちゃんはカキナが大好きでよく食べてた。
でも、あたしはそれしか知らなかった。
おばあちゃんに報告のため電話して、わかった事実。
じいちゃんが種から育てたカキナは、今が収穫期。
かなり美味しく大きくできたらしく、毎朝仏前にあげている。
じいちゃんはそれを育てただけで、食べられずに亡くなった。
じいちゃんがカキナの世話をしていたなんて知らなかった。
生きているあいだに、庭で一緒に水をあげたことも1回もなかった。
おばあちゃんが言った。
「AyAのこと可愛がってたから、一緒に水やりしたかったんだ。喜んでるんだ。」
じいちゃんが亡くなって2週間後、初めてみた夢では、
じいちゃんの車に乗ってドライブしてた。
笑って話してた。
「AyAに会いたくってさ、天国からちょっと抜け出してきたんさ。」
「へぇ、そうなん?」
「そうだよ~」
(じいちゃんは亡くなる直前まで大きな車を運転してた)
…たしか、こんな意味の会話だったと思う。
そうだったらいいんだけど。
生きてるあいだに1回も一緒に庭で水やりしなかった。
カキナの世話をしていたことさえ知らなかった。
あたしはひとり孫なせいか、とても可愛がってもらった。
誕生日はもちろん、なんでもない日にもプレゼントを買ってくれた。
怒られたことなんて1度もなかった。
とにかくやさしかった。
いろんなところに連れてまわって、老人会の旅行にまでついていった。
でも、あたしはじいちゃんに何をしてあげられただろう?
最後に会ったのは去年の夏。
地元を離れてるっていう理由で、最近はろくに会うこともしなかった。
大学の時は年に数回しか会わなかったし、
社会人になってからしたことと言えば、2回お年玉をあげられたことくらい。
その2回目のお年玉も、使わずに死んでしまった。
あたしが一人で海外に行くことも反対しなかった。
それどころか、友達に
「孫は外国語が堪能で、しょっちゅう海外へ行く国際人」
って自慢までしていた。
その国がどんなところだったかいろいろ聞いてくれて、
じいちゃんと旅の話をするのが一番楽しかった。
お父さんが九州へ引越す時も反対したり怒ったりしなかった。
友達に
「二男は立派なマンション買って、九州でがんばってるんだ」
ってこれまた自慢していた。
でも本当は、寂しかったのかもしれない。
じいちゃんごめん。
じいちゃんといて楽しかったよ。
可愛がってもらったこと、絶対忘れないよ。
いつまでも悲しんでたってしょうがない。
じいちゃんは、「大丈夫大丈夫」って言って死んでいった。
面倒見がよくて、あの年齢にしては友達が本当に多かった。
だから、じいちゃんがいなくなっても、
明るく前向きに、友達を大事にして生きていこうと決めました。
死にたいと思ったこともあったけど。
でも、そう決めてから会った友達は数人。電話した友達は1人。
なかなかじいちゃんのように生きるのは難しいよ。
じいちゃんの遺産で買ったエルメスのブレスレット。
死ぬまであたしの手首につけとくからね。
夢に出てきてくれてありがとう。
またきてねー