母方の祖父について書きます。


じいちゃんは、九州男児で口数が少ない。あたしはほとんど話した記憶がない。

8人兄弟の・・・上のほうだったと思う(笑)

昔の人なのに(って言っちゃ失礼だけど)背がすごく高くて、痩せてて、5人の娘の父だけあって威厳がある。無言の圧力がある人。

お酒も多分強い・・・と思う。桜餅の香のする煙草が好きだったらしい。あと水羊羹も好物だったみたい。



曲がったことが嫌い。ギャンブルなんて許さない。

パパがママとの結婚の許可を貰いに行ったとき、パパが

「○○には競馬場がありますよねー」

と話のついでに出たこの一言が、じいちゃんが結婚を反対する要因となったらしい。

「この男はギャンブルをして、娘に苦労させる奴なのか」と。



じいちゃんは戦争に行ったこともあるらしい。

高身長のせいか馬に乗って指示を出す(?)役割だったらしく、無事に帰ってきた。

よかった。じいちゃんがいなかったら、あたしがいるはずがない。

ちなみにあたしのこの小さい眼は、じいちゃん→ママからの遺伝です。(笑)




憶えているのは、小学校1年の夏休みにじいちゃんちに遊びに行ったときのこと。

ママにお金を貰って、一回り歳の離れた従姉妹と近くのお店で飴を買ってきた。その飴をじいちゃんちのテレビを観ながら食べていると、じいちゃんが

「じいちゃんにも一つくれ」

と言って来たのであげた。

遠い記憶なので薄れているし、じいちゃんの言葉はそっくりこのままじゃないけど、確かこんなニュアンスだったと思う。じいちゃんと話した記憶は、これだけ。



あたしが小学校4年の5月に、じいちゃんは亡くなった。

元々身体が悪くて入院していたが、日曜の昼にばあちゃんから「心臓が止まった」と電話があった。

急いで支度をして、従姉妹のいる(母にとっては姉家族)福岡へ。合流して一路長崎へ。

すでに沢山の親戚が集まっており、ものものしい雰囲気に包まれていた。

生きていない人を見るのは初めてだった。身近で不幸があったのも初めてだった。

じいちゃんは安らかな顔で、眠っているようだった。

あたしのママを含め、他県に嫁いだ伯母たちは親孝行もできなかったこともあってかみんな涙していた。


じいちゃんとの思い出はほとんどないけど、あたしのじいちゃんなんだと思うと涙が止まらなくなった。

出棺のときやお骨を拾うときも、じいちゃんが死んだ悲しみや人間の死の儚さを思うと涙が出た。




今になって考えてみる。じいちゃんはママの結婚に反対していた。パパも少し行きづらかったかもしれない。でも、その子供であるあたしとママが幸せなら、じいちゃんも反対はしないんじゃないか?

今となってはもうそれを直接じいちゃんに伝えることはできなくなっちゃったけど。

長崎のじいちゃんの仏壇やお墓に参るたび、心の中で呟いている。

「パパとママの子供で幸せです。ママも幸せだと思います。」