中学受験に挑む家庭になったとて。


私の生活がいきなり変わるわけもなく。


仕事もしていますし、バドミントンの練習もやっております。


たまには私の大好きなバドミントンについて話をしたい。なぜなら家族は誰も相手にしてくれないからだ。


中学三年間バド部のわたくし。公式戦で一度も勝ったことがない。要するに下手くそど底辺でスポーツをやっていました。


運動神経が悪いわけではないのだ。ただバドミントンが下手なのだと信じたい。当時、筋トレとランニングばっかりやってたため、陸上部より一時期足が速かった。体育の持久走ではクラスで一番速いタイムを出してしまって、陸上部のヤンキー子(昔はちょいワルヤンキーでも部活はする)にイラつかれてしまい、以降ヤンキー子のタイムを下回るように気を遣った走り方をしつつ、でも体育の成績は5をもらえるギリギリのラインを攻める生き方を習得したほどだ。要領がいいとかいう問題ではない。気にしすぎて遠回りを常にしている生き方に慣れているだけだ。


さて先日、中学の同じクラスの友達とラインしたら、


「バドミントン部で頑張ってたもんね。運動神経良かったもんね、naomiちゃん。頭も良かったし。」


と思い出話になり、あっ、バド部以外の同級生は私のことをそんな風に見てくれてたんだあ…と、中学卒業して20年以上経ってから他人から見えていた私、を知ることがありました。


高校ではゴリゴリの進学校。入学後にすぐに大学模試みたいなの受けさせられるので、やっと高校受かったとほっとしたのも束の間、もう数年後の大学受験をバリバリに意識させらるような高校じゃった…(回想)。


「志望校どこにする?」

「私は地元の国立大で。」(←3年後ホントに行った。あっけらかんと言いやがって腹立つよな。)

「僕は早慶あたりを狙おうかな。」(←コイツも3年後早大行った。当たり前のように言いやがってイラつくよな。)


(※上の( )のコメントはただの僻みであります)


なんて会話を15歳、入学してすぐ。春の4月でされた日にゃあ…oh〜。周りが頭良すぎてビビってしまった私は、勉強する時間を確保するためバドミントンを諦めたのであります…。

まあ、もともと下手だったので、バドミントンで何らかの成績を残すよりも、勉学で成績を残せる可能性の方が自分の人生にはメリットがあるだろう、という考えに至ったわけです。真面目か。


でも、またいつかバドミントンやりたい、という気持ちはずっと持っており、大学に入ってまた再開できたのは大きかったです。週2回、お遊びバドミントンだったけれど、高校部活を経験している人たちや、全くの初心者入り混じってのバドミントンをするのはとても良かった。バドミントンは老若男女みんなでできるスポーツなのだな、ということを覚えたのもこのとき。


「生涯スポーツだから!バドミントンは。」


と大学時代の友達が言った。バドミントンを通じて知り合った友達は、大学の学部の子とはまた違う種類の子達で、今でも仲良くやってる。今月は、「推しのアイドルのライブがあるから物販だけついてきて。」と言われて、都内某所に連れていかれました。(え、もはやバドミントン関係ない…)そんな感じでバドミントンやってなかったら知り合えなかった友達もいるから、バドミントンに大感謝。


そしてしばらくの空白を経て。


ボンちゃんが小学校に入り、学校に保護者のバドミントン部があることを知り、ようやくバドミントンを再開したのです。


するとどうしたことでしょう。


全くバドと関係ないところから、全中もインハイも経験ある、元実業団のママ友ができたのだ。バドミントンを「スポーツ」ではなく「競技」って表現する人に初めて出会った。(最近はただ飲み食いするママ友だ)(そんなんばっかりだ、私の友達)


スポーツを小さい頃からやり続け、その実績で大学まで進学、そして会社に入り、その経歴により社会人をやっている人に初めて出会ったのだ。それもオリンピック目指すレベルだぞ。一緒に打ち合いしたとき、あまりの速さと動きに震え上がるどころか見惚れましたよ。


私はそれで気付いたのよ。


運動も勉強も一緒で、やり続けて極めたら、必ずどんな形であれ、自分の人生に還ってくるんだと。逆もまた然りだ。


それでもってスタートの年齢は関係ない。私の場合はリスタートではあるが、トライするかしないかの天秤にかけるのは年齢でも、環境でもなく、自分の挑戦する気持ちだけだ!と。


今は大人の部活としてやっているので、周りのママ達も上手くなりたい!ていう熱い人が多くって、まるで学生時代のようです。みんなで目標をもって協力して取り組む!みたいな経験は、ババアになろうが楽しいものは楽しい。


「膝が…」

「腕が上がらん…」

「昔はこんなじゃなかったんよ、私…」


などと体育館でババアらしく、でもまだ老いを受け入れられない年齢ゆえの会話も交えつつ、バドを通じて仲良くなれるのも嬉しい。


そしてちょうど息子はサッカーでチームプレーを学んでいる最中。私も団体戦などは声をかけて試合をするので、息子に「気持ちで負けたらいかん!みんなを盛り上げていくのも大事!声を出していこう!」と言っています。自分がまさに今体験していることなので、力が入ります。


違うスポーツだけども、私も部活をやることで、なかなか思ったようにプレーできないもどかしさや、頭ではわかっていても体が動かないこと、がわかるように。安易に「もっと走れよ!なんなんだ今のプレーは!」と言えなくなりました。


私、体育館で毎週練習し始めたことで、学生時代、出来ないことに対する悔しさとか悲しさとか、そんな気持ちをすっかり忘れていたことも思い出しました。普通に自分のプレーにダメ出しされるとマジで凹むから、マジで。


「naomiさん、なんで今、あそこに打ったの?前衛が完全に構えてたじゃん。今のは無理せずロブ上げてディフェンス待ちで良かったじゃん。」

「う、あ…はい、すみません(シュン…」


「さっきの!クロスにスマッシュ打たなくていい。コースアウトの可能性の方があなた高いから。ストレートで勝負しても十分。スマッシュは決め球じゃなくていいんだから。」

「へ、へぇ…ごめんなさい(シュン…」


40歳超えて体育館で怒られながらバドミントンをする日常たるや。笑うわ。しかし地味に内なる闘志を燃やし「今に見てろよ…」と思ったりしてるよ。なかなか貴重な体験しています。


そんな経験をしながら、息子のサッカーの応援に駆けつけると。


息子へのサッカーのプレーの声掛けがどうしてもバドミントン流になってしまうため、息子の試合の応援に関しても、「ナイッシュー(ナイスシュート!)」と言えば良いのに、ついいつものように「ナイッショー(ナイスショット!)」と叫んでしまって、周囲の保護者が、なんだこいつ??て顔をされてしまうこともしばしば。


といった私の日々の日常を、息子のクラスの女子ママにコーヒー飲みに行って喋ったら、


ママ友「naomiさん、あのね、普通のお母さんは、フルタイムで仕事をし、バドミントンをしながら、子供のスポーツも応援して、中学受験の話などしません。」


と言われて呆れられてしまった。