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京都市下京区の西本願寺境内で、御影堂と阿弥陀堂の間から安土桃山-江戸前期の池跡が見つかり、浄土真宗本願寺派が10日、発表した。記録でも存在が確認されていなかった未知の池跡で、1617(元和3)年に両堂を焼き尽くした火災以前の同寺の姿を知る手がかりとして注目される。
事務所の建て替えに伴い、京都市埋蔵文化財研究所が3月始めから約240平方メートルを調査した。
池跡は火災前後の新旧2時期のものがあった。古い池は東西9メートル以上のみぎわの南側に、南北8メートル以上、深さ約50センチの池底があった。池に咲いていたとみられるハスの種も見つかった。新しい池は方形とみられ、焼け瓦を含む火災処理土で東半分を埋め立て、池底をさらに30センチ掘りくぼめていた。また橋脚らしい南北方向の二列の柱列も確認された。
火災以前の建物配置については史料がほとんどなく、現在南北に並ぶ両堂の位置が逆だったとする説や、東西に並んでいたとする説があるが、不明な点が多い。
本願寺の建築に詳しい桜井敏雄・近畿大教授(日本建築史)は「一般的に本堂の横に池があるのは不自然。近くに書院造りの建物があったはず」と分析。焼失の翌年に本尊を仮置きする仮御堂建設の記録があることなどから、「仮御堂が書院造りで、橋が架けられた軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)な建物だったのでは。火災以前の池も、御影堂などの造営に伴う仮御堂を伴っていた可能性がある」と話す。
一方、庭園に詳しい鈴木久男・京都産業大教授(考古学)は「書院造りに伴う池なら、景石や洲浜など観賞用の意匠が施してあるはずだが、今回の池にはそれがない。仏事に直接関係する池だったとすれば、両堂に伴う池だった可能性も否定できない」と話している。
御影堂(奥)と阿弥陀堂の間で見つかった安土桃山-江戸前期の池跡(京都市下京区・西本願寺)