三菱一号美術館計画概要を発表 三菱地所
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070221-00000005-jsn-ind
三菱地所は2月21日、丸の内の三菱一号美術館の計画概要を発表した。
丸の内再構築の更なる「拡がり」と「深まり」を目指し、「丸の内」の原点である三菱一号館が、エリアの文化・芸術の中核施設として09年「三菱一号館美術館」として新しく生まれ変わる。翌2010年より本格オープンの予定。
同社は、昨年6月に三菱一号館を美術館として活用する開発計画を発表、これまで具体的な検討を進めてきた。旧三菱一号館は、イギリス人建築家、ジョサイア・コンドルの設計により1894年に竣工し、日本初のオフィス街「丸の内」の先駆けとなったビル。
ジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852年9月28日 - 1920年6月21日) はロンドン出身の建築家。お雇い外国人として来日し、辰野金吾ら、創生期の日本人建築家を育成し、建築界の基礎を築いた。
のち民間で事務所を開設し、財界関係者らの邸宅を数多く設計した。日本画を学び、趣味に生きた人でもあった。
経歴
1852年 ロンドンに生まれる、父は銀行員
父の急逝後、ロジャー・スミス(父の従兄でロンドン大学教授)の建築事務所や、ロンドン大学などで建築を学ぶ
1873年 ウイリアム・バージェス事務所に入所
1876年 一流建築家への登竜門であるソーン賞を受賞、日本政府と契約(5年間)
1877年(明治10年)来日、工部大学校造家学教師および工部省営繕局顧問
1884年(明治17年)辰野金吾の教授就任により工部大学校を解雇
1886年(明治19年)東京帝国大学工科大学講師(4月)、官庁集中計画の一環で学生を引率しドイツへ出張(10月~)、ロンドンにも立ち寄り、翌年帰国
1888年(明治21年)講師辞任、建築事務所を開設
1893年(明治26年)前波くめと結婚
1914年(大正3年)工学博士号授与
1920年(大正9年)東京で逝去
主な作品
鹿鳴館(1883年、現存しない)
ニコライ堂(1891年)重要文化財
三菱一号館(1894年、現存しない)
丸の内に復元するプロジェクトがある。(2006年着工)
岩崎久弥邸(1896年頃、湯島、旧岩崎家庭園)重要文化財
岩崎弥之助邸(1908年、高輪、三菱開東閣)
三井倶楽部(1913年)
諸戸邸(1913年、桑名市、六華苑)[1]重要文化財
島津邸(1915年、清泉女子大学)
古河邸(1917年、旧古河庭園)
岩永省一邸(1912年、一部が現目黒雅叙園旬遊紀)
その他
日本文化に傾倒。画家の河鍋暁斎に就いて学び、「暁英」という号を与えられた。
墓所は護国寺にある。
東京大学工学部1号館前にコンドルの銅像がある。
コンドルというのはオランダ風の読み方であり、コンダーの方が本来の読みかもしれないが、一般にも「コンドル先生」で通っているため、このままとしたい。(コンデルとも呼ばれた)
2004年、三菱地所は丸の内に三菱一号館を復元すると発表した。2006年着工し、2009年に竣工予定である。
著作・文献
コンドル博士遺作集(1931)
日本の建築明治大正昭和 2(三省堂、1979)
ジョサイア・コンドル建築図面集(中央公論美術出版、1980-1986)
鹿鳴館の夢 建築家コンドルと絵師暁英(藤森照信ほか、INAX、1991)
ヴィクトリアン・ゴシックの崩壊(鈴木博之、中央公論美術出版、1996)
鹿鳴館の建築家 ジョサイア・コンドル展図録(鈴木博之ほか、東日本鉄道文化財団、1997)
鹿鳴館を創った男 お雇い建築家ジョサイア・コンドルの生涯(畠山けんじ、河出書房新社、1998)