エーロ・サーリネン (Eero Saarinen, 1910年8月20日 - 1961年9月1日)は、アメリカ合衆国において活躍した建築家、プロダクト・デザイナー。フィンランド人。多くの建築物や家具を手がけたが、シンプルで印象的なアーチ状構造を多く作品に取り入れていることで知られている。
生涯
JFK空港のターミナル5(もとトランス・ワールド航空の専用ターミナル)
マサチューセッツ工科大学の音楽ホール、クレスゲ・オーディトリアム(1955)。チャペルと同時に設計・建築。1200トンのコンクリート製ドームをわずか3点で支えている。
フィンランドの建築家エリエル・サーリネンの子。ヘルシンキに生まれ、13歳のときアメリカ合衆国に移住。ミシガン州のクランブルック美術大学(Cranbrook Academy of Art)で教える父の講座に学び、在学中にチャールズおよびレイ・イームズと知り合った。1934年、イェール大学で建築学の学位を取得。
1950年に父エリエルが逝去するまで父親の建築事務所に勤める。彼は1948年、ミズーリ州セントルイス市に西部への国土拡大と開拓を記念して建設される国立公園、ジェファーソン・ナショナル・エクスパンション・メモリアルの主要部となる記念碑のデザインコンペに応募し、その案(ゲートウェイ・アーチ)が優勝したことで注目を浴びるようになった。エーロはまだ無名で、コンペの賞は父エリエルに誤って贈られた。高さ192m、幅192mに達する巨大なアーチは設計に難航したが、1963年に着工、1965年に竣工し、セントルイスおよび西部開拓のシンボルとして親しまれている。
彼は1951年、父の死後に独立して事務所を設立した。ゼネラルモーターズの技術センター、ヴァッサー大学の学生寮、特に有名なジョン・F・ケネディ国際空港のTWAターミナルビルなど、コンクリート・シェル構造を用いた曲線的で表現主義的なスタイルの建築で一世を風靡した。彼は建築の中の内装や家具デザインも手がけており、その曲線を用いた未来的なデザインも20世紀中期を代表するものである。彼はシドニー・オペラハウスの建築設計競技において、落選案の中からヨーン・ウッツォンの案を強く推して最終的に優勝させたことでも知られる。
彼は1961年、51歳で脳腫瘍のためミシガン州アナーバーで亡くなった。ゲートウェイ・アーチをはじめ多くの未完成のプロジェクトが残されたが、彼の下で働いていた建築家ケヴィン・ローチの設計事務所、ケヴィン・ローチ・ジョン・ディンケルー・アンド・アソシエイツが多くを完成させた。生存中はしばしば建築界の権威から無視され嘲笑の的にもなったが、今日では20世紀のアメリカを代表する巨匠の一人として数えられている。
建築作品
セントルイス、ゲートウェイ・アーチ
1955年 - MITチャペル
1958年 - イェール大学ホッケーリンク
1962年 - TWA空港ターミナル
1964年 - ゲートウェイ・アーチ
1965年 - CBSビル
家具作品
チューリップチェア
チューリップチェア(Tulip Chair、1956)
関連書籍
『SD選書227 エーロ・サーリネン』( 穂積信夫著、鹿島出版会、1996)
- 穂積 信夫
- エーロ・サーリネン
- Jayne Merkel
- Eero Saarinen
- Antonio Roman
- Eero Saarinen
- Pierluigi Serraino
- Eero Saarinen 1910-1961. Ein funktionaler Expressionist
- Antonio Roman
- Eero Saarinen: An Architecture of Multiplicity
- Antonio Roman
- Eero Saarinen: An Architecture of Multiplicity
- Mark Coir, Sandy Isenstadt, Reinhold Martin, Eeva-Liisa Pelkonen, Donald Albrecht
- Eero Saarinen: Shaping the Future