山口 半六(やまぐち はんろく、1858年8月23日 - 1900年8月23日)は、明治時代を代表する建築家。文部省在籍時に多くの学校建築を手がけた。代表作に兵庫県庁舎(現・兵庫県公館。半六の逝去後に竣工。)などがある。
経歴
1858年(安政5年)出雲国(現・島根県)松江に生まれる。父は松江藩士、山口軍兵衛。
1871年(明治4年)大学南校(明治6年に開成学校に名称変更。東京大学の前身。)に入学。
1876年(明治9年)文部省貸費留学生に選抜され、フランスへ留学。国立パリ中央工芸学校に入学。
1879年(明治12年)国立パリ中央工芸学校を卒業。
1881年(明治14年)帰国。郵便汽船三菱会社に入社。
1884年(明治17年)文部省に移り、文部省管轄学校の建設工事を担当する。
1891年(明治24年)建築家として2人目の工学博士号を授与される。
1892年(明治25年)肺結核により文部省を休職。
1894年(明治27年)桑原工業事務所(大阪)の建築部に移籍(部下に設楽貞雄)。
1899年(明治32年)山口建築事務所を設立。
1900年(明治33年)逝去。
主な作品
熊本大学五高記念館
兵庫県公館
東京師範学校(1887年、現存しない)
帝国大学理科大学本館(1888年、現存しない)
第五高等中学校本館(1889年、熊本市、現・熊本大学五高記念館、重要文化財)
旧東京音楽学校奏楽堂(1890年、東京都台東区、重要文化財)
第四高等中学校本館(1891年、金沢市、現・石川近代文学館、重要文化財)
日本火災保険会社(1900年、現存しない)
百三十銀行本店(1901年、現存しない)
兵庫県庁舎(1902年、神戸市中央区、現・兵庫県公館、登録有形文化財)
日本貯蓄銀行本店(1902年、現存しない)
大阪市新設市街設計書(1899年、日露戦争のため実現せず。幹線道路の配置計画が市電路線に生かされた。)