関電HPより
○このたびの東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた皆
様に心からお見舞い申し上げます。

○今回の震災復旧に際して、当社名でお客さまに節電に関する
チェーンメールを送ることはございませんので、ご注意くださ
い。
○当社はお客さまへの安定供給を維持した上で、11日夕方から
、電力各社と協力しながら最大限可能な範囲で電気の融通を行
っております。[注]
○平素より皆さまには省エネ・節電にご協力を頂いております
が、今のところ、お客さまに更なる特別な節電をお願いするよ
うな状況にはございません。
[注]東日本と西日本では、電気の周波数が違います。従って
、関西電力の電気を
東日本に送るには、周波数を変換しないといけません。この周
波数変換施設の容量には上限があります。

関西電力が東京電力に送電しているのは事実。

【東日本大震災】関電、被災した電力2社支援へ - MSN産経ニ
ュース

また、関電は火力発電所などの出力を上げて、東電に対する電
力融通を同日午前から開始した。

変電所の限界
(ソース:大阪市長平松邦夫氏のツイート)
では、なぜテレビや関西電力のHPでは、西日本向けに節電の
呼びかけをしないのか。

実は、西日本(関西・中部他)と東日本(東京・東北・北海道
)では周波数が異なる(西日本60Hz東日本50Hz)。
そのため、西日本から東日本への送電は、変電所を介さないと
できない。
そして、変電所は新信濃、佐久間、東清水の三カ所しかなく、
この三カ所をあわせても100万kwしか変換できない。
この100万kw分は既に供給されている。
だから、西日本で節電をしても、そのぶん東日本への送電が増
えるわけではない。
 
まとめ
電力の備蓄は行っていないので、備蓄が底をつくという時点で
間違い。
西日本と東日本とは周波数が違うから、変換が必要。
その変換装置のキャパには限界があるので、家庭で節電を行っ
た分が全部変換できるわけではないし、家庭の節電分をまわす
予定もないとのこと。このチェーンメールはただの悪のよう。

「自分にも何か出来る事があれば・・」というお気持ちはわか
りますが、絶対に転送しないで下さい。大勢の人間が多数のメ
ールを送信することはネットワークへ高い負荷を与える原因と
なる為、とくに災害時には絶対にやってはいけない行為です。
たとえ善意であっても、メールサーバをダウンさせたり、本当
に助けが必要なメールが届かなかったり、埋もれてしまったり
と、チェーンメールは送ること自体が悪なので、転送してはい
けません。
さっき大きめの飲食店にいたんだけど、そこら中の客の携帯から緊急地震警報と思われるサイレンが何度かいっせいに鳴ってた。
でも皆慣れてきているせいか口々に地震の感想を話してそのまま食事続けるという。なんだかSFの世界みたい…。

— Twitter / @泰平
正義の味方の特徴

1 自分自身の具体的な目標をもたない
2 相手の夢を阻止するのが生きがい
3 単独~小人数で行動
4 常になにかが起こってから行動
5 受け身の姿勢
6 いつも怒っている


悪玉の特徴

1 大きな夢、野望を抱いている
2 目標達成のため、研究開発を怠らない
3 日々努力を重ね、夢に向かって手を尽している
4 失敗してもへこたれない
5 組織で行動する
6 よく笑う
$ロシナンテなログ-地雷1

$ロシナンテなログ-地雷2

$ロシナンテなログ-地雷3

$ロシナンテなログ-地雷4

$ロシナンテなログ-地雷5


ユニセフ(UNICEF)がドイツで行った、街を歩く人々に地雷の事を考えさせる公共キャンペーンです。

 まず、石床の模様に偽装したステッカーを上にして、地面へと無造作にばらまきます。ステッカー上部は粘着面となっており、歩行者がうっかりステッカーを踏んだ後にその足の裏を見ると、裏面に描かれた地雷とそこに書かれているフレーズが目に入ると言う仕組みです。

 地雷ステッカーの裏面には、以下のフレーズが書かれています。

In many other countries you would now be mutilated! Help the victims of landmines!
 (この国じゃなかったら、あなたは今ここで、足を無くしていたかもしれません。地雷の犠牲者にどうか救いの手を!)

 地面に偽装された地雷型のステッカーにより、突然犠牲者となってしまう地雷の怖さをより一層連想させます。非常によく考えられた公共広告だと思いました。


歩行者に踏んで気付かせる、ユニセフの「地雷ステッカー」公共広告


羽生善治氏「経験豊富とは、たくさん考えるんじゃなくて、たくさん考えないということ。経験を積むことによって不必要な情報は捨てられる。足し算の蓄積で経験が生きるということではなくて、無駄なことを省くことができるというのが本当の意味での経験を生かすということなのかなと思っています。」

— Twitter / 孫泰蔵: 羽生善治氏「経験豊富とは、たくさん考えるんじゃなくて …
$ロシナンテなログ-被害者数の推移

最新(平成22年版)の犯罪白書に載っている「13歳未満の子供が被害者となった刑法犯 被害者数の推移」という統計です。

平成12年に3621件だった被害総数は、平成21年に2572件まで減少しています。年によって多少増減ありますが、子どもの被害は減っているといえます。

特に平成21年の殺人被害は78件*1。これはこの10年どころか統計上でも最小の数字です。


子どもから目を放しても大丈夫! - 俺の邪悪なメモ
現在のメア日本部長はホワイトハウス国家安全保障会議
(NSC)のアジア部長に昇格するという。

 何のことはない。

 更迭などではない。

 予定人事を今夏から今春に少しばかり早めるだけの話である。

 見ているがいい。

 日本のメディアは「メア更迭!」と大騒ぎするに違いない。

 これでメア暴言事件の幕引きを図ろうとするに違いない。

 「メア更迭にごまかされてはいけない」、「メアをNSCのアジア部長
にさせてはならない」、と書く新聞が一社でも出てくるだろうか。

 けだし見ものである。
                            了


— [2011.03.10] メア日本部長の更迭で幕引きさせてはいけない
399
今日自殺しようかなと思ってたけど長友見ていたいからもうちょっと生きてみるわ

490
>>399
自分がお願いしてないのに長友のように勝手に幸せをもたらしてくれる奴がいる
自分がお願いしてないのに誰かがドラクエの新作を作って届けてくれる
自分がお願いしてないのに秋になったらサンマがうまい
生きろ。よくみると世の中はあんたを楽しませようと色々な事してる。


— もうちょっと生きてみるわ 続・妄想的日常

僕の父親はリビア人で、母親が日本人です。生まれたのは日本なのですが、父親の仕事の関係で6歳のときリビアに移り、19歳までそこで暮らしていました。高校を卒業した後、日本のNGOで働くために今度は1人で日本に来たのが2006年のこと。今は通信社でアラビア語の通訳・翻訳をしながら、大学にも通っています。

 僕の知っているリビアは、もちろんその時期によって違いはあるけれど、安全だし、人もいいし、本当に暮らしやすい、住みやすいところでした。今も、もちろん大好きな国です。

 僕が初めてリビアに行ったのは1994年ごろで、国連による経済制裁※のさなか。首都のトリポリでさえ、まだ高いビルは数軒しか建ってないような状況でした。モノも不足していて、砂糖や油など配給制のものもあったし、ジュースや煙草などの日用品もとても高かったですね。

 その後、徐々に市場経済が導入され、1999年に経済制裁が解除されると、徐々に経済発展も進んでいきました。街にビルが次々建ったり、高い外車に乗る人が目立つようになったりして。一方で、政府にコネのある人間だけがお金持ちになっていったりと、貧富の差が急速に拡大した面もあるんですが…。ただ、どちらにしてもそれで「食べていけなくて飢えている」人がいるような状況ではなかったと思います。

 僕が子どものころには、学校でも厳しく「反米」を教え込まれたりしたけれど、経済制裁が解除される少し前から、それも少しずつ変わっていきました。なんとなくちょっと政府がアメリカに接近しつつあるのかな、という雰囲気は感じていたし、現在のリビア国民のアメリカに対するスタンスもさまざまだと思います。

 アメリカの政府については、たしかに嫌いな人が多いです。特にイラク戦争やアフガン戦争のときにはリビアも空爆を受けましたから、その意味での「アメリカ」に対する敵対感情は強いでしょう。でも、アメリカ政府とアメリカ人は別だ、とちゃんと考えている人もたくさんいます。そもそも、みんなアメリカの音楽は聴くし映画も見ますからね。

 そう、映画や音楽については、基本的にいっさい制限がありませんでした。インターネットも普通に使えるので、海外の情報はちゃんと入ってきていたんです。海外のテレビも見られて、時間によってはNHKのBS放送も見られた。他の締め付けが厳しい分、そういう部分では自由を与えて、国民の不満が溜まりすぎないようにしていたという感じ。そこがサダム・フセインなんかとカダフィの違うところですね。

※国連の経済制裁…1988年、イギリス上空を飛行中だったパンアメリカン航空の航空機が爆発・墜落する事件が発生。のちにリビア政府の関与によるテロ事件と断定され、リビアは1999年まで国連による経済制裁を受けた。
■西洋的な「自由」はなかったけれど

 もちろん、何も問題がなかったわけではありません。公の場で政府を批判することは厳しく禁じられていたし、メディアにも基本的に政府批判はいっさい載りませんでした。革命直後※のころのように「政府批判を口にすれば即縛り首」という時代ではないので、友達同士で話しているときに「カダフィはダメだ」みたいな話をすることはあったけれど、それを公に口にすることはありませんでしたね。1996年には、刑務所に収容されていた政治犯1200人が、突然軍によって虐殺されるという事件までありました。

 それに、「人民主権に基づく直接民主制」※だというけれど、国民に決定権があるのは小さな問題だけで、国政にかかわるようなことにはまったく関与できない。そもそも、政府が何をやっているのか、何をしようとしているのかも、リビア国民にはまったく知らされないんです。2003年に「核兵器の廃棄」が発表されたときも、国民のほとんどの反応は「核なんて持ってたの!?」でしたから。

 それから、経済的な問題。教育や医療が無料だといっても、公務員の給料は経済制裁時代とほとんど変わらなくて、学校の先生はアルバイトをしないとやっていけないし、公営の病院は治療の質がとても低い。失業率も30%くらいと高くて、大学を出ても働くところがない、という若者も多かったし、なんとか仕事が見つかっても、それに没頭できるほどやりがいがある仕事は本当に少ない。だから、僕くらいの若い世代のリビア人はみんな「ヒマ、ヒマ」というのが口癖だったんです。

 リビアの石油埋蔵量は世界8位で、アフリカ大陸では3位。それだけ豊かな資源があるのに、この経済成長のスピードはどう考えてもおかしいですよね。それに、石油というのはいつか必ずなくなるものだから、それに頼らずやっていけるような、持続可能なシステムを今のうちに構築しなくてはいけないのに、それもできていない。それは、僕だけじゃなく多くの人が感じていたことだと思います。

 ただ一方で、だからといって「生活していけない」わけではないんですね。表現の自由などの西洋型の「自由」はたしかにないけれど、人々がそれをそれほど強くは求めていなかったという面もあったと思います。公に政府批判さえしなければ、とりあえず食べてはいけるし、経済成長のスピードが鈍いとはいっても、ビジネスチャンスがまったくないわけじゃない。その意味では、国民の間に不満はあっても、それが今すぐ爆発するという状況ではなかったと思います。

※革命直後…1969年、それまで王制だったリビアは、当時27歳のカダフィを中心とする青年将校らのクーデターによって共和国となった。

※直接民主制…カダフィは1977年に「人民主権に基づく直接民主制」への移行を宣言。このため、代議制による議会は存在せず、建前上は「国家元首」も存在しないことになっている。
■「今しかない」感覚が、人々を立ち上がらせた

 にもかかわらず、今回のような大規模な反政府運動が起こった理由の一つは、やはり「便乗」だと思います。

 「直接民主制」をとるリビアには議会もないので、正規ルートで政治を変えられる手法が基本的にはありません。としたら、リビアが変わるにはカダフィが死ぬか、もしくはクーデターしか手段がなかった。それだけに、クーデターなんて無理だし、どうせ何をやっても変わらないよ、というあきらめがリビア人の間にもあったんだと思います。だったら、普通に食べてはいけるんだし、今がベストではないけどこのままでもいいよ、と。

 ところが、今年に入ってチュニジアやエジプトの革命が起こったことで、リビアの人たちの中にも「自分たちも何かやれば、どうにかなるんじゃないか」という感覚が生まれた。同時に、「このタイミングを逃したら、二度とこういう革命的なムードは生まれない」とみんな思ったんでしょう。僕自身もそれは考えましたから。

 それでも、2月の初めにフェイスブックなどのインターネットを通じて「行動しよう」という動きがあったときは、まだそれは「反政府デモ」ではなかった。2005年の2月17日に、国内第2の都市・ベンガジで、イタリア大使館前でデモ※をしていた市民に対して軍が発砲し、死者が出るという事件があったんですが、この事件の犠牲者追悼を、同じ2月17日にやろうという呼びかけだったんです。それが、在外リビア人も加わってインターネット上で意見がかわされるうちに、だんだんと「独裁を打倒しよう」というような、より政治的な色合いのものに変わってきた。

 それでも、僕はまだトリポリでは何も起きないだろう、と思っていました。ベンガジは歴史的に反カダフィ感情の強い場所だし、2月17日の事件の「当事者」ですから、そこでは絶対何かが起こるだろうけど、トリポリにまでは波及しないだろう、と考えていたんです。

 ところが実際には、17日が来る前――15日ごろから、ベンガジで早くも小規模なデモが始まって。その翌日には軍の発砲があって、最終的には死者も出ました。それによって市民の怒りは爆発し、急速にデモが拡大していった。そしてそれがトリポリにも波及し、そこにまた軍が発砲したことで、さらに反政府の動きは激しくなっていったんです。

※イタリア大使館前でのデモ…2005年9月、デンマークの新聞にイスラム教の預言者・ムハンマドを風刺する内容の漫画が掲載され、イスラム社会に大きな非難の声を呼び起こした。その後、イタリアのベルルスコーニ首相がその風刺画をプリントしたTシャツを着用したことで、ベルルスコーニに対する反発の声も高まった。
— リビアで今、起こっていること アーデル・スレイマン|マガジン9
兵士1人が日本刀1本で100人以上斬り殺せるほどの
戦闘能力と有り余る予備の日本刀を持ち、
銃剣と単発銃のみで80万人以上殺すなど、
原爆以上の破壊力を持つ携行兵器を誇り、
各植民地で無駄に現地人を殺してまわるほど武器弾薬が余っていて、
320万人もの現地労働者を動員し、
そのうち100万人が死ぬほどの労働条件でも
反乱を起こさせないほどの統率能力を使って、
国境地帯に計19ヶ所、4700kmにおよぶ要塞および
1700kmもの地下要塞を作るほどの労働力を動員し、
その工事後1万人を生き埋めにしたり、
揚子江の川幅を2m以下にしたり、するほどの高い土木技術を持ち、
沖縄で米軍上陸後も市民に玉砕命令が出せるほど命令系統がしっかりしていて、
当時オランダ領だったインドネシアにも開戦前から
日本軍用の慰安婦を送り込むほど先見性があり、
日本兵の数を上回るほどの従軍慰安婦を
一日に一人あたり何十人も暴行するほど体力と食料があって、
韓国で文化施設はもちろん一般家庭にある辞書から
料理本に至るまで処分してまわるほど暇で、
保護するために植民地ではなく「併合」したにも関わらず、
韓国の運気を捻じ曲げるために、山の頂上に鉄杭を埋め込むほど風水に明るく、
韓国の優れた建築施設・街・鉄道を全て接収することなく破壊し尽くした上、
新たに日本のダメな建築物に建て替えるほど資材と資財が有り余っていて、
当時の朝鮮の人口のおよそ半数近くを
日本へピストン輸送するほど燃料と船舶が豊富で、
中国で家々に火を放ちまくり無駄に虐殺した民間人の死体を一カ所に集めて
たっぷりとガソリンをまいて燃やすほど石油資源に余裕があり、
広く険しい中国大陸を大軍勢で移動していたにも関わらず、
各地区の兵士や民間人が逃げる暇も無い程の
スピードで動き回るなど金メダル級の運動能力を誇り、
山東省で広島+長崎の核2発分の犠牲者数を超える
42万人を殺戮するほどの細菌兵器を保有し、
田舎から都市部まで全ての街道を余す所無く隅々まで破壊し尽くし、
さらに人気の無い山の奥深くでさえ
草一本残さず毟り取る程の根気と几帳面さを兼ね揃え、
11歳が戦場で暴れ回るほど若い内から逞しく、
終戦後になぜか意味の無い強制連行を行いまくるほどの軍備と余裕があり、
圧倒的科学力を誇るらしい朝鮮の反日勢力になぜか圧勝するほど運がよく、
植民地の朝鮮人を殺しまくりながら人口を2倍にするという魔術を持ち、
半世紀以上放置されても使用出来る毒ガスを作れるほどの科学力を誇り、
金の掛かる化学兵器砲弾を200万発も生産して中国全土に埋め、
記憶を奪えるという摩訶不思議な技術を持っていた
大日本帝国が敗戦したことは、人類史上最大のミステリー。