11月15日と16日、
長野県大町市にある「仁科(にしな)神明宮」で行われた
20年に一度の大祭「式年遷宮祭」に行って参りました。
11月15日の15時からの「竣工祭」と、
16日午前0時からの「遷座祭」を拝見しました。
まずは15日の昼間の様子を。
いつもは静かで荘厳な雰囲気の仁科神明宮。
11月15・16・17日の3日間が大祭の期間でした。
飾り付けもされていて、お祭りムードが漂っています(*^_^*)
通常だと、この鳥居のずっと奥に駐車場があるので
この辺りは車でブイ~ンと通過してしまいます。
式年遷宮祭期間中は、少し離れたところに駐車場が設けられ
シャトルバスでここまで運んでもらいます。
なので、このたび鳥居右側のお社に初めてご挨拶することができました。
神さまのお名前、書いてあったような・・・なかったような・・・
忘れてしまいました。すみません(^^;)
今度行ったときに確認させていただきます。
お社の位置的には祓戸社さんのような気がするんだけど。
仁科神明宮は、かつてこの地域一帯が伊勢神宮の御領としての
「仁科御厨(みくりや)」であったことから、
その鎮護のため祀られたお社とされています。
神社の創祀の年代は明らかではありませんが、
900年ほど前の平安時代の中頃であろうと考えられています。
伊勢の皇大神宮にならい20年に一度、社殿の造営を行い
遷宮祭を行ってきました。
仁科神明宮には永和2年(1376年)の式年遷宮の社殿造営の際の
「造営棟札」が残されています↓
600年以上前から20年に一度の式年造営が行われており、
すべての時代の造営棟札が保存されているそうです。
すげえ・・・(・_・;)
仁科神明宮の「仁科」とは、この地を治めた古族仁科氏のこと。
仁科氏が代々式年造営を行ってきましたが、
滅んでしまってからは松本藩主の祈願所として引き継がれたそうです。
巨大な御神木、樹齢800年の「三本杉」
真ん中の杉は昭和に突風で倒れてしまったそうな。
手水舎。
清らかな山の水が常に注がれています。
上の鉢を下で支えているのは4人の力士だそうです。
かなり重そうなご様子。
手水舎のすぐ横にある鳥居をくぐると、
左手に社務所があります。
緑のテントの辺りに人が並んでいます。
これは遷宮祭の3日間毎日、時間限定で頒布される「福俵」を頂きたい人々の列。
まだ頒布時間前なので皆さん並んでいます。
数量限定、100個の頒布となっていました。
私もできれば頂きたいけど、1時間近く並ぶのは疲れちゃうなぁ(´・ω・`)
とりあえず先に本殿にご挨拶をしに行きます。
列はどんどん伸びていく~。
社務所の向かいには御池。
綺麗な鯉がたくさん泳いでいます。
参道を進みます。
階段を登ると・・・
ピッカピカです。
思わず触ってしまいました。
ツルスベでした(*´ω`*)
木の良いにおいもしてました。
こちらは「神門」
お賽銭箱があるところ。
これより先は参拝者は立ち入りできません。
右を向くと「神楽殿」があります。
仁科神明宮には何度も参拝させて頂いてますが
神楽殿が開いているのを初めて見ました。
このあとの竣工祭で「投げ餅」「散銭」がこちらで行われます。
もみくちゃの闘いになりそうだぜ・・・
神門の後ろにはピカピカの銅板屋根がきらめく「拝殿」があります。
階段があり、上へ行けるようになっています。
上がるとこんな感じ。
元・御神木の大きな切り株があり、
拝殿をすぐ近くで見ることができます。
写真の右の建物が「本殿」
左側に半分くらい見えている建物は「中門(ちゅうもん)」
その二つを繋いでいるような屋根は「釣屋(つりや)」
この本殿・中門・釣屋は日本最古の神明造りで、
国宝に指定されています。
ん?(・∀・)
20年に一度の式年遷宮で造営修理されてピカピカの社殿になっても国宝のままなの?
と、疑問が沸いてきます。
分かりやすく説明すると、
1376年~1636年(江戸時代はじめ)までは社殿を丸ごと新築していたが、
1636年以後は部分修理を行っている。
このため、現在の本殿・中門・釣屋は江戸時代はじめに建てられたものが遺っている状態。
それが、図らずも日本最古の神明造りとなっていて
国宝に指定されている。
逆サイドから見た、拝殿の銅板ピカピカお屋根。
左奥にお社が見えます。
「仮宮」です。
社殿造営修理の間、本殿のご神体はこの仮宮にお遷りされています。
深夜0時から行われる「遷座祭」にて、
神官・氏子の方々の手で、ご神体は本殿へ戻られます。
ご神体が仮宮へ遷られたのは今年5月。
半年間、仮宮におられたのですね(^^)
神門の左手前には、お祓いが行われそうな空間が作られていました。
長くなりそうなので次の記事へ続きます。