カテーラ森(むい) | 沖縄の裏探検

カテーラ森(むい)



那覇市田原(たばる)3丁目に田原公園があります。
公園の周辺は住宅地で公営団地や大型商業施設、モノレール駅も近くて人通りも多い場所になっています。


公園には遊具がありますが現在は老朽化の為に使用禁止となっていました。


公園は丘陵に延びる散策道があります。リュウキュウマツとフクギが植栽されてちょっとした散歩にはちょうど良い感じです。

一見すると明るいこの丘陵地の地下には海軍航空隊巌(いわお)部隊の坑道が今も現存しています。
2006年までは立ち入りできたそうですが2007年からは崩落のおそれから閉鎖されています。


遊具のある広場から少し歩いた場所に壕の入口が2ヶ所あります。


内部は砂岩になっています。上部に電線が残されています。


これは左隣の入口です。


こちらは下向きに掘られています。ゴミや土砂が流入していました。


丘陵地へ上がる階段の途中にも入口があります。


こちらは良好に残っています。


公園の裏手には大きな入口があります。


案内板によると壕内の坑道はこの様に延びています。


こちらも良好に残っています。

カテーラ森は上から見た形が『寿』に見えたので日本軍は『寿山』と呼びました。
その寿山に坑道が構築されたのは1944年8〜12月頃で住民も総動員で完成しました。総延長は約350メートルあります。
内部は作戦室、通信室、暗号室、中央には指令室があります。
その目的は海軍小禄(おろく)飛行場(現在の那覇空港)の守備でした。壕内は軍民合わせて約1000人が入っていたそうです。

1945年6月4日にアメリカ軍は空港のある鏡水(かがみず)に上陸しました。7日にカテーラ森一帯で戦闘となり11〜13日にカテーラ森にも馬乗り攻撃が行われました。
坑道は火炎放射器の攻撃によって300〜400人が死亡したとされています。8月には約50人間が生存していたとされています。
内部からは遺骨や陶製の手榴弾が出土しています。

今は憩いの場として活用されている公園ですが、沖縄戦の歴史を知る事ができる場所にもなっています。
できる事なら坑道の保存や利用ができる様に整備してもらいたいものです。