喜納観音堂(きなかんのんどう) | 沖縄の裏探検

喜納観音堂(きなかんのんどう)



読谷(よみたん)村字喜納に観音堂公園という名前の広場があります。この広場の一角に文字通りの喜納観音堂があります。
広場は周りよりも若干下がっています。


道路から観音堂までの参道があります。


そこを暫く進むと赤瓦の建物が見えてきます。これが喜納観音堂です。


祭壇の中央にはケースがあって、その中に千手観音が入っています。
堂の中はとても綺麗に清掃されていました。
 

観音像はこんな感じです。割と小型な像です。

この観音像は本島北部の金武(きん)町から1841年頃に勧請して喜納に来たとされています。
読谷村の言い伝えでは元々この地を所有していた『ヌン殿内百お爺』という人がいて自分の墓を造る為に土地を均していました。
この土地は林が周りを囲んでいる黄金森(くがにむい)と呼ばれる場所でした。
観音堂は首里と金武にしかないので喜納の人々はここに観音堂ができると遠方まで行かなくて済むと思いました。

ヌン殿内百お爺は自身の墓を造る為に土地を均していたので当初は反対していましたが、結局はこの地を譲って旧暦9月18日の夜に金武観音堂から勧請されて観音像が祀られたという事です。

喜納観音堂は地域や周辺の人々から長らく大切にされてきましたが、沖縄戦時に観音像が行方不明となってしまいました。戦後に真鍮の観音像を設置しましたが盗難に遭い、再度鍵を付けて設置したものの再び盗難に遭いました。

この観音堂は1964年に老朽化した堂をコンクリート製にして新たに整備されました。
旧暦9月18日には集落の役員や人々から、集落の健康と繁栄と子供の成長などが祈願されています。


喜納観音堂のすぐ左側に土帝君(とぅーてぃくー)があります。殿内帝君は農耕神として祀られています。
この土帝君も戦時中に破壊されてしまいました。中には土帝君像がありましたが今は霊石が置かれています。


こちらも中が清掃された跡がありました。
自給自足で生活をしていた昔の人々にとっては観音堂と共に土帝君も大切な場所でもありました。
拝所が今も綺麗に保たれているのは喜納集落のこうした感謝の気持ちが表れている事だと思いました。

喜納観音堂と土帝君は平成24年に村有形民俗文化財として指定されました。