崎原(さちばる)ノロのサクル馬
読谷(よみたん)村字瀬名波(あざせなは)集落の中央付近に瀬名波御拝所(シナハウガンジュ)と呼ばれるノロ殿内(どぅんち)があります。
中にはヌルアンジャー、ヌルガミ、ヌール神が祀られています。
中央の供物台は漆器ではなく木製で、かなり古くから使われている物で今ではなかなか見れる物ではありません。
これは瀬名波ノロが馬に乗っている様子を掘った物です。
昔は彫物ではなく首里から贈られた絵が飾ってあり、その後は写真もあったそうです。この彫物は戦後に復元された物です。車の無い時代に馬に乗れる人物は高貴な身分の者でした。
初代とされている崎原ノロの言い伝えがあります。
首里に住んでいた王族の血を引く士族の家の末娘が瀬名波村のノロに任命されました。
その末娘は甘えて育てられた事もあって遠い田舎の地へ行くのを拒んでいましたが、結局は深笠を被って馬に乗せられてお供の者が鉦や鼓を鳴らしながら瀬名波村に赴任してきた話があります。
言い伝えとしてこうした経緯が残っているのは、首里からノロがやって来た事が村の人々にとって大きな出来事であり、また初代ノロも瀬名波村の祭祀を立派に行ったのでしょう。それが今日までノロ殿内が存在している所以になっていると思います。
県内各地にはノロが騎乗する際に使われた踏石が残っている場所がありますが、彫物として馬に乗っている姿が伝わっている場所は興味深いです。
崎原ノロは読谷山間切(ゆんたんざまぎり、現在の読谷村)内の6ヶ所の村の祭祀を担当しました。
任命とは言え初代には辛い赴任だったと思いますが、瀬名波集落では今も大切にされています。