大嶺御嶽(おおみねうたき) | 沖縄の裏探検

大嶺御嶽(おおみねうたき)



那覇市宇栄原(うえばる)1丁目の住宅街の高台に大嶺御嶽という場所があります。
『大嶺』とは集落名で、現在の大嶺集落は集落全てが那覇空港となっています。その為に大嶺集落は地名として存在していますが住民は他の地域へ分散しています。
ここにある拝所は移動してきた物です。


中に入ると歩道があって右手に神屋があります。神屋の多くは敷地の右側にあります。


神屋の横にはサバニ(漁船)を模したベンチが設置してあります。
かつての大嶺集落は半農半漁の集落でした。今でも地バーリーという地上で船を漕ぐ仕草をする他地域で見られない行事があります。


神屋は金線白地の香炉がいくつか置かれていました。こうした香炉を使用する拝所は格式が高い場所となります。


神屋の向かい側に向かいます。


中は様々な拝所を合祀してあります。これは井戸を合祀した拝所です。


ここは按司井や神井、ノロ井の特殊な井戸が合祀されています。


その向かい側にティラヤの拝所があります。沖縄では変わった形の岩を権現として祀る拝所があります。こうした拝所を『ティラ』と呼んだりします。
かつての大嶺集落にもティラがあったのでしょう。


大きな拝所の左側には土帝君(とぅんてぃーくー)があります。
土帝君は農耕の神様として県内にいくつか存在していますが、土帝君は1689年に大嶺親方弘良(うふんみうぇーかたこうりょう)という人物が清(しん、現在の中国)から自領の大嶺村に持ち帰ったのが始まりとされています。
この土帝君は沖縄に初めてもたらされた由緒ある土帝君になるかも知れません。


他には様々な遙拝所の様な拝所が並んでいる場所もあります。


少し離れた場所には大きな火ヌ神があります。


敷地の端にはかつての大嶺集落に向けてか、空港の方向に遙拝所がありました。
1基だけ北に向けられた『今帰仁(なきじん)』の銘がある拝所もありました。


敷地の外側に拝所がここに移ってきた経緯が書いてある石碑があります。
大嶺集落は日本軍により飛行場建設で土地接収となり、戦後は現在の那覇空港として利用される事となります。郷里に残された拝所が今はここに鎮座しています。


那覇市金城(かなぐすく)に旧大嶺集落の歴史を伝える場所として、ともかぜ振興会館が建設されました。9月28日から一般オープンとなります。出身者が存命の内に完成したのは大きな意義があると思います。

沖縄には集落丸ごと基地に接収されたままの場所があります。
大嶺集落もその一つという事です。
空の玄関口として大いに利用されている那覇空港ですが、大嶺集落の人々の思いとそこに人の暮らしがあった事を伝える場として活躍されると思います。