住吉神社(すみよしじんじゃ) | 沖縄の裏探検

住吉神社(すみよしじんじゃ)



那覇市山下(やました)に山下児童公園があります。今は山下西公園という名称になっているみたいです。
この公園の奥に住吉神社があります。


公園内に入るとタチチガーという井戸があります。旧正月の若水(うびー)や生活用水として使用されていました。
本来はタチトゥジガー(太刀砥ぎ井)と呼ばれていたのがいつの間にかタチチガーと呼ばれる様になったとの事です。


公園の奥に進むと階段があり上がって行くと住吉神社の参道が見えてきます。広場の角に拝所があります。


参道はクランク状に上へと続きます。


程なくして住吉神社の入口が見えてきます。


鳥居をくぐって左側に周辺の井戸を合祀した拝所があります。


手水舎もありますが水は入っていません。
手水舎の右手ににも階段がありますが住吉神社はこの境内にあります。


神社に向かう左手にはかつて存在した湖城(こぐすく)村、儀間(ぎま)村、住吉村にあった拝所を合祀した拝所があります。湖城、儀間村は那覇軍港の敷地内となっています。


境内の奥に住吉神社があります。神社の左側に由来を記した石碑があります。

住吉神社の神体は石で元々は儀間村にありました。
農業を推奨した儀間 真常(ぎま しんじょう)という人物が1611年に薩摩から帰郷した際に航海安全の守護神として屋良座森(やらざむい)という地に祀ったのが始まりとされています。後にその場所は住吉森(すみよしむい)と呼ばれました。
1659年に老朽した為に真常の孫が再興し、1696年には拝殿も建てられましたが沖縄戦で破壊しました。
その後住吉村は軍港を造る為に接収されてしまいました。
昭和28年に現在の場所に祠が設置され、昭和57年に再建されました。
現在の住吉神社には表筒男命(うわつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、底筒男命(そこつつおのみこと)が祀られています。


手水舎の横から階段を上がって行きます。


すると階段の先に大城の殿と銘のある石碑と拝所があります。更にその右上にも拝所があります。


この地に伝わる伝承によると儀間 真常の祖先にあたる大城按司(うふぐすくあじ)が島添大里按司(しまぞえうふざとあじ)に戦で敗れてその子孫がここまで逃れてガマ(洞窟)に隠れた話があります。


ここにはもう一つガマがあります。道を戻って今度は右手の山道を進みます。


道の行き止まりに大きなガマが見えてきます。


ガマの前には御世神と銘のある碑があります。どちらが伝承のガマか分かりませんけど、静かな山の中にこうした場所がひっそりと残っています。