高宮城(たかみやぎ)遺跡 | 沖縄の裏探検

高宮城(たかみやぎ)遺跡



南城(なんじょう)市大里字高平(おおざとあざたかひら)に標高約87メートルの丘陵があります。
丘陵の南側から西側の斜面にかけてグスク式土器や青磁片が採取されました。

旧大里村の資料では、地元でグスクと呼称されている事や、黄金子(くがにしー)という人物が『みやぐすく』を拠点としていた事からこの場所がグスクと考えられています。
高宮城は方言で『たかなーぐすく』や『たかみやぐすく』と呼ばれます。


高宮城遺跡は南城市役所大里庁舎のすぐ横の一際高い場所に位置しています。丘陵には頂上に向かって一本の道があります。


道を上がって行くとすぐに小さな広場に到着します。そこにコンクリート製の拝所があります。


この拝所は殿(とぅん)と呼ばれています。旧暦5月と6月のウマチーという行事の際に拝されています。
琉球国由来記という文献には『高宮城之殿』と記されています。


殿のすぐ近くにも拝所があります。この拝所については不明との事です。


殿の後ろには瓦が1ヶ所にまとめて集められていました。殿はかつて瓦の建物だったと思われます。


高宮城遺跡は土のグスクとも考えられており、何ヵ所かに削平された跡があります。


殿から上に行くと平場があります。周りは急斜面になっています。
ここが城壁を持たないグスクであれば土塁や堀切で防御する事になります。

古謡を集めた『おもろそうし』という文献によると、黄金子を詠んだとされるおもろに『立派な宮城(みやぐすく)の金子(こがねし)が美しい冑や鎧を身に付けている』といったものや『名高いお方が大タウ(地名)の神女を崇めて稲福(いなふく、地名)の崖にいる』と黄金子を称える内容になっています。
黄金子の実力がこの一帯に広がっていたのがうかがえます。


高宮城遺跡から少し離れた庁舎の横に農村公園があります。その頂上に広場があって奥の角に拝所があります。


この拝所はクガニシーやカニマンと呼ばれています。琉球国由来記には『コガネ森 神名コガネシオブルクウノ御イベ』と記されています。ここも旧暦5月と6月のウマチーに拝されています。
黄金子は首里から下りて来た人物とされていて、拝所は黄金子の居住地跡とされています。
右の大きな拝所が黄金子、左の拝所は妻もしくは愛人を祀っているという事です。

現在の高宮城遺跡は多くの場所が樹木で覆われたままで、黄金子の存在もはっきりしませんが、今後の調査があれば伝承と共に全体像が判明してもらいたい遺跡です。